2011/03/18

「氷点下の被災地」に思いを馳せながら・・

 ~旅の支度を調えました~
 今年度最後の講演のために間もなく家を出ることにしています。
 目を覚ました枕元の(常備の)ラジオにスイッチを入れる。慣例の行動に移る。それは気温の高低で布団を抜け出すための時差である。今朝は「冷え込んでいるな」との体感で、自然にエアコンのリモコンに手が動く。そこには耳を通り抜けたアナウンサーの声が残っていた。それは今朝の被災地が氷点下であることだった。取り出したリモコンを握ったまま葛藤する自分がそこにある。情けない!そう思った瞬間にリモコンから手を離した。布団の温もりすら無い避難所の光景を思い浮かべたら、再度の自己嫌悪であった。暫く天井を眺めながら自らの甘えを反省して、布団から抜け出して直ぐに着替えを済ませた。しかし、ホントに寒い。閉め切った小さな和室でこの寒さに震え上がっている意気地無しを罵りながら今日の一日が始まったのである。
 今朝も早朝からテレビはもう全開だった。
 流言飛語。そんな言葉を思い出す。情報が無さ過ぎても、有り過ぎてもこの症状が生まれることが今回の悲劇で良くわかった。関東大震災の最中の流言飛語の事を小学校時代の恩師から聴いてこの言葉の意味を知った。NHKのラジオ放送が始まったのが関東大震災2年後であったと、今朝のラジオで知った。関東大震災の時は情報が無さ過ぎたのだ。今回の東北関東大震災では、情報が有り過ぎるのかも知れない。数日前のテレビ番組で、「気象庁は未だ発表していませんが、確実の津波がやって来ます。該当地域の近くにお住まいの方は直ぐに避難してください。至急高台に避難してください」という主旨の報道が繰り返された。その数分後、気象庁から「津波の心配はありません」とのコメントが他のテレビ画面から報道された。
 肝心な被災地には情報が届かないらしい。この矛盾がまた考えさせられる。
 そんな思いを巡らせながら、これから和歌山まで出向きます。被災地の皆さんの頑張りには負けますが自分なりの務めを果たすべく頑張って行ってまいります。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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