2010/01/28

昨日のできごと~公開研究会~


         ~授業づくりは学校づくり~
 
 これは関係専門誌に掲載されている小生の論文に濫用している(笑)お気に入りのフレーズである。校長経験者としての小さな経験を実践と置き換えて反省記としてまとめると、必ずこのフレーズに到達するのである。
 一般社会では会社人や企業人は、自らが所属する会社や企業の現状に大きな関心を寄せ未来の行方に一喜一憂するモノである。それを一般的には経営的視点と言う。役職ではないにも拘わらず確かにその視点を有することは、学校人(教員たる職業)とは明確な違いではないだろうか?
 経営的視点を有しない教員集団の元凶は、毎日の授業が「学校経営に通じる」という意識の薄いところである。希薄な経営的視点の裏付けは授業と学校経営が全く別世界だと考え、学校経営は校長・教頭を含む少数の「管理職」だけの任務であると勝手に「仕分け作業」をしているところではないだろうか?
 当ブログをご愛読いただいている方は多くは小生と同業者、つまり学校人であろう。自校の現状と小生の言い分とを比べていただきたい。
 昨日の茅ヶ崎市立東海岸小学校の研究発表会は、まさに全教職員が「一丸となって」授業を追究している実情を公開した昨今珍しい「手作り」の発表会であった。昨年の4月から1ヶ月に1回の定期的訪問と出前授業のために教室の中にも足を入れて一緒に授業づくりに指導助言を試みた小学校である。
 この小学校の教師集団に対する学校長の評価も高い。平成23年度から全面実施になる指導要領では5・6年生には「外国語活動」という新領域が科せられる。ともすれば、その該当学年を担当する教員への「丸投げ」状態になりがちである。しかし、この小学校では1年生から「少しずつ」外国語の世界に誘導するための授業研究が採り入れられている。全教職員が取り組むところが「学校づくり」なのであるという小生の持論からすれば、小生の仮説を見事に実証してもらっている学校と断言しても過言ではない。
 「研究実践事例集」(写真)は、1年間の実践をそのままに綴じてある。教頭先生に確認したところ、残部はあるとのこと。早めにお申し込みいただけるとお裾分けが可能のようである。ただ、老婆心ながら遠距離からのお申し込みの場合は「着払い」等の心遣いをお願いしたい。学校という機関には「サービス料」なる予算項目は無いことをご理解いただきたい。

 関わって2年目の4月からは更に拍車が掛かるだろうと大きな期待に胸が膨らんでくる。
 読者の皆さんも来年度の研究発表会には是非会場にお越し下さい。
◆お知らせ
毎月1日にアップする 今月のイチオシBOOKS は従来通り 小生のHPのコーナーにてご覧下さい。変更ばかりで申し     訳ございません。

2010/01/27

親は「子どものためなら」頑張れるモノ!

 早朝の5時半に電話のベル。
 数年前の「習慣的反応」を思い出しながら湯舟で様子を伺った。『腰湯』のために浴室にいた爺にも電話のベルは聞こえていた。「電話のベルと連想」は数年前のある時期までは「凶」反応であった。介護が可能な義父を強引に連れだして九州から上京した。その時点は、義母が特養老人ホームに入所出来て、生活にも慣れて落ち着いたというケアマネージャーの報告を受け始めた頃である。義父母が九州と神奈川で別々の生活を始めた。ホームから事務処理のことでも電話が時々掛かっては来ていたが、ベルが鳴って電話の向こうがホームの担当者であると「ドキッ」としたものだった。容態は一進一退との報告にも慣れては来たものの早朝の電話には不吉な予感が先行した。遠距離の時空は縮めることは出来ないので「息を引き取った」の以前に「緊急な面会」要請が飛び込むことを想定するのであった。いずれは来る。その心の準備は出来ているつもりでも、真夜中や早朝の電話のベルは決して心臓に良いモノではない。
 妻の声の相手は長男のようだ。末っ子孫息子の具合が悪いようだ。湯舟で身動きもせず聞き耳を立てるのも辛いモノ。急性肺炎?まだ3歳に満たない幼児なので心配は心配だ。電話を切った妻が浴室のドアを開けて報告する。病院に緊急一時入院とのこと。ともあれ主治医の所での入院の措置であれば、取り敢えず一安心。共働き夫婦にとっては、こんな事態の時が最難題。お祖母ちゃんである妻は、すぐにでも孫の元に飛んで行きたいようだが、焦っても仕方がないと抑えながら、「情報から依頼」に変更したらスタンバイだ、と妻には告げた。
 同居していると不都合はないのだが、こんな時には何の役にも立てない。従って苛立ちもある。金曜日から広島に出講する爺には一層身動きが取れない。
 『腰湯』を終えてお茶と果物で軽食(老夫婦の朝食)を摂る。日頃無口な妻が更に無口になる。きっと末孫の容態を案じているのだろう。爺だって気にしていないことなどない。心配は心配だ。
 子育てには「良い思い出」は決して多くはない。こんな時にどうして熱を出すんだ!どうしても外せない用務の時に限って子どもの具合が悪くなる!子どもさえいなければもっと楽なのに!何十回こんな思いを繰り返しただろうか。長男夫婦も同じ親人生を辿っている。体力も付いて手も掛からなくなったと思えば自立して親元を離れていく。嬉しいことではあるが寂しくもある。
 40歳近くになってしまった(笑)我が3人の子供達も、幼児の頃はこのような日々を繰り返していたなぁ~としみじみ述懐する朝である。「子を持って知る親の恩」とは・・・・。親業真っ只中の全国の若い諸氏、後30年もするとこの爺のつぶやきが実感となりますよ。親は子どものためには頑張るしかないですよ、ね、同輩諸兄! 

2010/01/26

十八番「泥縄式準備」で明日に臨みます!



 「泥縄」人生はこの爺の王道です!!
 まるで開き直り的な人生哲学ですね。決してやけっぱちでの哲学では無いので誤解のないようにお願いたします(笑)。
 用意周到・準備万端・・・。これは、全国の会場で講演終了後の控え室や楽屋で主催者の皆さんからお褒めいただくお言葉に含まれている表現です。当事者としては、演壇で冷や汗をかいた直後の再度の冷や汗モノの評価です。聴講者の皆さんの深意を組み入れてお話し等出来る器ではありませんので赤面の至りの思いです。なにせ「泥縄式準備」で臨んでいるのですから、講演終了後は出来るだけ早い時間にその場を去りたい、と心から願っているのが毎回の本音です。
 新年早々の「公開研究会」の講師として、明日(1月27日)は市内の小学校に要請されています。研究発表会では、大きな流れの最終コーナーが「講演」となります。全体的な研究大会の会場の雰囲気を「嗅ぎ取る」力が要求されると思っています。場違いの講演では参加された人たちに失礼だと思うからです。ともすると、用意周到の準備資料に不具合が生じることがあっても不思議ではありません。臆病な爺はその対応が出来ないだけです。単なる泥縄式・直前準備の言い訳・・・・(笑)なんです。
 明日は、茅ヶ崎市立東海岸小学校における「小学校英語」に関する1年間の授業実践の発表なのです。文科省・県あるいは市の指定研究校の発表ではありません。「自主研究」を発表する小学校です。「指定研究」という看板があれば、少々ではあっても研究助成金があります。しかし、この小学校にはそれは皆無です。熱心な教師集団に絆された爺は1年間関わってきました。学校から拒否反応が無い限り、次年度も図々しく「指導担当講師」として通い続けようかと勝手に決め込んでいるほど熱心に授業研究をしている小学校です。
 今日は一日中、明日のために「十八番」の泥縄式・準備に明けて暮れました。
 明日の研究会に参加する教師集団にお渡ししたい「おみやげ」づくりに精を出しました。爺の腰のベルトに装着した歩数計は○○○歩。つまり、ほぼ終日書斎から一歩も出ずに仕上げた(決して満足では無い!)モノが写真でご覧頂いているA4版2枚の「26個の絵」です。爺は肩が凝りましたぞ(笑)。
 当年取って66歳になる爺が、こんな「ままごとに現を抜かしている姿」をご想像下さい。滑稽でしょ?いかにして、小学校の児童に「興味関心」を抱かせるか?その観点からの労作です。中・高校の英語教育に携わった英語教育のプロにとっては、経験の少ない小学校の教員が「小学校英語教育」に挑む姿は惨すぎて、観るのも辛い思いなのです。何とか手助けをさせてもらいたいと願うばかりです。
 
 そこで読者の皆さんに問います。写真を見ながら答えてください。
 この「絵」は26枚あります。アルファベットのA~Zに合わせて絵を並べてみてください。1枚も余りません。当然ながら重複もありません。単語の頭文字で並べてください。

2010/01/25

遡ること「35年前」


 今日は、午後から大和市に向かった。
 お世話になった方の訃報を知ったので(既に20日間は過ぎてはいるが)御霊前にお線香をあげるために妻と一緒に行くことにした。
 遡ること35年前。小生に長男が誕生した時、「お宮参り」の着物(赤ん坊だけが上から羽織るもの)の注文をしたかった。上京して10年にも満たない小生には地元での呉服屋さん等知る由もなかった。長男誕生の知らせで九州から上京してきた義母は和裁の専門家。反物さえあれば仕立てることが出来ると言う。従姉(妻の)の嫁ぎ先の義理の叔母が呉服店にご勤務(だったかも知れない)という幸運な出会いがあった。ご紹介していただいて立派な晴れ着が出来上がった。それは、勤務していることの有無ではない。愛情である。親身になってお世話を戴いたことは決して忘れてはいなかった。
 時は流れ、晴れ着を身に羽織ってお宮参りした長男も35歳になった。その息子たち(孫)が七五三を迎える時代になった。和裁専門家の義母は既に亡くなっている。しかし、叔母様にご調達いただいた生地は生きている。そこで、「祖父ちゃん」なった父親としての小生は、何としても(従姉の)叔母の愛情と義母の技術で拵えた晴れ着を、仕立て直しをして孫たちの「七五三の晴れ着」にしたくなった。長女の住む千葉県佐倉市の呉服屋で依頼をお請け戴いた。待望の七五三の晴れ着が昨年秋には完成した。二人の孫息子達が交替でその晴れ着で七五三の祝いをすることが出来た。天国の曾祖母ちゃんも喜んで貰っているだろう。感無量!
 20日前に亡くなられた義理の叔父(妻の従姉の)の奥様にお見せして、お礼を申し上げたく、今日はその「二人の孫達の晴れ着姿の写真」を持参した。勿論、訪問の第一目的は御霊前へのご供養のご挨拶であることは百も承知。お線香をあげてお参りを済ませてから、介護のご様子や生前のエピソード等をお聴きしながら世間話に話題が展開した。
 おもむろに写真を取り出してお見せした。そして、改めて「お礼」を申し上げた。驚かれた様子とご記憶の中で思い出された表情にホッとした。本当にお世話になりました、と当時の愛情あるご好意に今更の如く深く感謝の意を述べた。不謹慎とは思いつつも、「お許し下さい」と叔父様の霊にも頭を下げた。
 その叔母様から小さなカードを戴いた(写真)。人生訓として大事になさっている言葉のようである。正にその通り。じっと見詰めながら35年前の「出会い」に感謝するひと時となった。すっかり長居をしてしまった。お世話になったご高齢の叔母様ご一家のご健康とご多幸を祈りつつ妻と一緒に帰宅した。ありがとうございました。

2010/01/24

新・歩禅記(3)

 体調復活の兆しを感じ取ると一気に上り上がりたいらしい。
 歩ける嬉しさは隠せない。何事にもそんな性分で動き出す夫を持つと妻も苦労なことだろうなぁ~(他人事みたい!)。半ば強制的に妻を誘って、以前良く歩いた田園コース(予定所要時間は60分)を無性に歩きたくなった。出発は午前9時。出で立ち姿は勇ましいが防寒ズボンも脱げなくなってしまっているのも事実。
 季節は大寒。数日前からまた「寒の戻り」があり9時とは言え、久々の田園コースは風も冷たい。小出川で泳ぐカモの群れに季節を感じながら堤を歩く触感?それはご機嫌な味。やっぱり自然を眺めながら「歩く」事が出来るのは至福の時間である。しみじみと実感する。
 「霊峰・富士山」の茅ヶ崎からの写真をアメリカの従姉に送ってあげたい。妻の要望を受けて夫がカメラを向けた(写真・上段)。今度は妻に頼んで富士山を背に「歩禅衣装」の身を纏った夫の姿を撮って貰った。これはブログで紹介することにしましょう(写真・右)。温暖な湘南でこんな完全武装をするとは加齢の証拠ですかね。歳には勝てません(笑)。
 早咲きの河津さくらの並木に差し掛かる。妻が叫ぶ、「もう蕾が開いていますよ」と。地域のボランティア活動で見事な桜が咲く箇所である。桜が咲くのは2月14日頃との予想案内看板が立っていた。その頃は、この狭い堤も地元の人たちで一杯になる。
 高速道路・圏央道(千葉~茨城~埼玉~東京~神奈川)の建設は急ピッチ。『西久保ジャンクション』という名称は既に広報済み。いつの完成であるかは承知はしていないが、その頃には??マークになっているだろうから高速道は遠慮しますよ、ね。
 工事現場を観ながら、約半年ぶりの田園コースを歩いて帰宅した(7000歩)。

昨日味わった2つの感動と受け止めた1つの衝撃









    ~昨日の出来事【新・歩禅記】(2)~

 写真(最上段)は『歩禅』の途中で立ち止まって撮った光景です。「紅梅って早咲きなのかしら?」と、中央公園を横切る時に妻が立ち止まって声をかけたのです。冬の枯れ木立は墨色。その中に咲く「紅の色」は鮮やかに見えました。このことを「紅一点」と言うのでしょうか?我々夫婦が立ち止まって観ている間にも何人かの散歩人が観賞する目線で通過して行かれました。
 紅梅も爺の「歩禅」復活を祝ってくれたのでしょうかね。この歩禅を終えて帰宅したら少しだけ早めの昼食を済ませ、午後からは市内の中学校で保護者会が計画・立案・実践されている「親学講座」に出講することになっていました。全予定は年間6回ですが、その5回目の講座に専任講師として大きな責務を担っています。大勢の保護者の皆さんは毎回、とても真剣な眼差しで聴講されます。無責任で能天気な爺にとっては「老脳の活性化」と言う栄養タップリの酸素を吸入できる絶好の時間となっています。
約9000歩を示す歩数計にほぼ満足状態で帰宅しました。やっぱり「歩ける」と言うことは至福の時間ですよ~!!全身がエネルギッシュになることが感動です。午後の登壇に弾みが付きそうでした。

    ~昨日の出来事【感動の感想文集】~

 歩禅から帰宅すると、心機一転の歩禅に弾みを倍加させるような手紙が届いていました。
 去る19日に広島市立庚午小学校で5年生に英語の示範授業をしました。この授業は文字通りに「先生方に提案する授業形態」の一つとして全国の小学校で展開している個人的な事業です。今回も1時間(45分間)を3つの教材を使って授業をお見せすることにしました。平成23年度から小学校でも「外国語活動」という名称で「英語の授業」が展開されることになっています。経験の無い小学校の先生方には苦痛な時間になることでしょう。
 中学校・高校でしか英語の指導は経験が無い・・・・と言っても「小学校には英語の授業は無かったので、公立小学校勤務者は誰も経験がない・・・・小生にでも「お役に立てる」のであれば、との思いで全国の小学校からのご要望に応じているところです。
 その小学校で授業公開した学級で担任の先生が発行されている「学級通信」(写真 中段2枚)が届いたのです。授業の中身はここでは論外とします。5年生の「授業感想文」集とは言え、「日本語の基本(敬語表現)」の素晴らしさに感動しました。一緒に目を投じた妻も唸るほどでした。クリックすると大きな画面になりますのでご一読下さい。外国語を学ぶことは母国語の学習の基盤がとても重要と考えている爺(=張本人)には表現し難い「激励」になりました。素敵な感想文集をありがとうございました。このブログでも以前書いていますが日本人の発する日本語で最も気になるのが乱れている「謙譲語・尊敬語」の使用です。日本語の美しさを失いたくないのです。
 日本語の乱れを感じないこの感想文集を読んでいると、また、この学級で「英語の授業」をやってみたくなっています。ご指導なさった担任の先生の日本語指導(地味な)敬意を表します。元気100倍で午後の任務に就きました。

    ~昨日の出来事【第5回・親学講座】

A:両親離婚 母親が心配で学校に行けない不登校男児
B:両親離婚で貧困。ライフラインが途絶え気力も萎えてしまった不登校男児
D:母子家庭。保育園に通う妹の面倒を看ながらも部活に挑む中2の女生徒
E:父親の借金で父母の喧嘩も絶えず、取り立てに怯えて電話にも出られない女子中学生
F:トマト2個を弁当にする外国籍の女子中学生
G:男性交友関係で留守がちな母親。その時間がたまり場になってしまう女子中学生
H:父親の暴力に怯え帰宅拒否症候群の13歳の女子中学生
I:父子家庭に若い女性が出入り。お小遣いは十分に与えられている女子中学生
J:父親の暴力で被害者の母親を警察に保護を訴えた男子中学生
K:不倫で離婚した母を嫌っていたが父親が再婚のため再び母親と同居した男子中学生
L:両親は仕事をせず。中学校を卒業して働くことを強制される女子中学生
M:男子高校生が家庭的に問題を抱える女子高校生を「相談に誘う」という現状
 これは今回の基調提案者(毎回主催者から依頼されて登壇される方)の宇野さん(写真下段 市・家庭児童相談員)が報告なさった内容の5割ぐらいを「書き取った」小生の不正確なメモの一部です。それでも本市の現状のホンの一部を情報としてご提供いただいたようです。会場からは、信じられない悲惨なばかりの「受難する子供達」の実態に、すすり泣く声も耳に届きました。もっともっと沢山の事例をお持ちのようでした。公立中学校の主催事業ですので、当該学区の実情は情報としてご提供いただけなかったと思うと、この何倍もの事態が、現実にすぐ側で、今日も起きていると思うと心が痛みました。
 大人の無責任、と言うより「大人になりきれずに大人になってしまった」偽装大人の出現の多さに我が耳を疑うほどでした。相談室に勤務される相談員さんに届いた情報のホンの一部を聞いただけです。全市的に、全県的に、と全国的に、と枠を広げて考えてみただけで日本列島沈没論が確固たるモノになってしまいそうです。恐ろしいことです。受難の子供達。親を選べない子供達の明日を考えると心寒く哀しい思いで一杯になりました。
 消滅してしまいそうな『誇りある日本国民』を復元しなくてはなりませんね。

2010/01/23

歩禅「完全復活」も間近に・・・

     ~昨日の出来事【新・歩禅記】(1)~
 現役教員時代は「ミスター腰痛」で通った(笑)。整形外科医とは「またですか」「はい、またです」の会話で通じる仲であった。臀部に注射を打っていただいていつもの薬を貰って、「お大事に」の言葉で送り出され、数日間は寝返りするのも苦痛だった経験は忘れようたって忘れられない。度重なる腰痛は座骨神経痛なる副産物まで誕生した。痺れの不快感は、ホントに不快(笑)。
 鍼診療を始めて今年で10年。
 その間、腰痛とは無縁の生活が続いた。診療士曰く。「肉体はあらゆる出来事を確かに記憶している。繰り返しは当然である」と。更に「薬や注射で治ったかのように見える療法では根治されていない」とも。年末から(今冬は冷え込んだ)腰痛らしき痛みは無いが右脚の痺れをはっきり感じるほどに辛さがあった。歩くのが快感どころではない。不快感が先行し始めていた。その間、3回ほどの鍼診療を受けた。不快感も完全消滅はしなかったが・・・・。
 一昨日の診療を終えて帰宅。何となく歩きたい気分になったが、妻から無理しないようにとの忠告。素直に受けて当日は断念。
 しかし、昨日は「歩きたく」なっている自分を抑えきれずに「歩禅」に出た。妻と一緒に歩き始めた。行く先はJR茅ヶ崎駅ビルの中にある店舗。途中で大型家電量販店に立ち寄って写真用紙を購入。駅ビルの買い物を終えて国道1号線沿いの仏具店に向かう。妻の縁者から不幸の一報が2週間も遅れて届いた。その情報で「御霊前」の準備である。ノンストップでショッピングで回遊しながら帰宅した。歩数計は久しぶりに1万歩を超えていた。ほぼ1ヶ月ぶりの快挙(?)である。痺れは無いことは無いが、歩くことへの妨害にはならなかった。歩禅の完全復活も時間の問題か?
 今朝は昨日の「歩禅」復活の嬉しい知らせを届けさせていただいた。

2010/01/22

気候は「春から冬へ」逆戻り

 今朝も爽やかな気分で・・・。
 ラジオから聞こえる気象予報士の言葉は「春から冬へ逆戻り」の連発。地元横浜も昨日との気温差が-10度とのこと。今朝の気温が9度だそうだ。えっ、昨日は19度もあったのかい?そう言えば暑かったなぁ~と能天気な爺さんが呟いてしまったのは、起床時刻・4時の出来事。
 ラジオ深夜便「こころの時代」は、昨年世界一の称号を戴かれた、視覚障害者ピアニスト・辻井伸行氏のお母様へのインタビューの放送だった。テレビと違うのは容姿が見えないので「声で」判断するところかな?声色の艶と温もりが感じ取れた。当然ながら爺の主観ではあるが、当たっている確信する。
 我が子が全盲であることが判明した時点での「親の苦労」は推し量れない。途中で父親としてのコメントが流れた。その当時はどんな用件があっても外泊せずに真夜中でも帰宅したという。理由がわかった。母子心中(自殺)が心配だったから、とのこと。その言葉に胸が痛くなった。しかしながら、その後持ち前の明るさで息子と接している妻を確認できるようになってホッとした、との談。妻と子どもに対する家長としての責任の大きさを痛感。
 現職時代に、障害児を抱えて悩む母親の苦悩を聞いたことがあった。姑から嫁の責任だと詰られ、辛くなって夫に話すと「産んだ本人が面倒を看ろ」とダメ押しをされ、子どもと一緒に死を考えた、と。そんな保護者を校長室で慰め、励ましたこともあったが校長の言葉には辻井氏の母親のような力強さは無かった。今日の辻井夫人の「お声」をお聴きしていると「明るさと強さ」が感じられた。子育て相談(正式な名称は不明)コーナーをインターネットサイトで開設され相談活動を始められたそうだ。「一緒に頑張りましょう」と言えるだけですが・・・・と控えめながらの応え方にも逞しさも感じ取れた。相談者が元気になられるだろう、とこちらも嬉々とした心情にさせてもらった。
 だから爽やかな朝なのです。
 寒さが戻ったそうですが、負けずに元気に頑張りましょう。

2010/01/21

平凡な一日に感謝しつつ・・・

 定期鍼診療を終えて帰宅。
 朝早い出発なので、いつものように朝はバタバタでした。
 この日の午睡は貴重です。全身に数知れぬ「鍼」が刺されると神経のあちこちにも反応があるのでしょう。帰宅したら「昼寝」が定番です。今日もそんなノンビリした時間が流れました。目が覚めて気づいたのです。昨日、真剣に作ったお礼状の葉書(=16日・熱海市・新春教育講演会)を投函することを忘れていました。投函するために近くの郵便局まで自転車で行きました。(えっ!歩くんでしょ?)昨日辺りから30年前の座骨神経痛が復活してくれましたので長時間の歩行が辛いのです。決して「無理をしない」で自転車にしました。
 途中で旧・同僚に会いました。「角田さんは、いつも元気だね~」と言われ、自転車に乗っている自分が恥ずかしくもなりましたが現状は隠せませんね。暫くしたら颯爽と歩く「人生」を報告できますのでお待ち下さい。
 一段落?そうです。仕事が小休止になると昔の「症状が出る」のは高齢者の証らしいですね。割り切っています(笑)。こんな状態であっても、明日にでも講師として演壇に上がれば「座骨神経痛」なんぞには負けませんよ!(失笑)。おやすみなさい!

2010/01/20

4日間の「旅」を終えて

 今、ブログの再編集に挑戦して、お約束の写真を添付することができました。遡ってご鑑賞(笑)ください。
 
 充実した仕事(勝手な自己評価)を終えて帰宅すると大きな疲労感もない。そんな朝を迎えることが出来て幸せです。暮れに購入したノートパソコン(小型)を『旅の伴』として持参しました。旅先のホテルからこのブログにアップすることは初めてのこと。出来なくて当然!(=お得意の「開き直り」スピリット)とばかりに挑んでみました。ご愛読いただいている皆さんには広島発信のブログがライブであることはご理解いただいたことでしょう。
 今朝も5時過ぎには目を覚ましてメールチェックをしました。時間が掛かりましたが嬉しいメールが届いていました。小生は面識がない(と思っていますが)福岡の方から「愛読している」とのコメントと新春教育講演会のレジュメの送信依頼が届いていました。資料の添付が難しい(容量が大きくて送信不能)のでレジュメの項立て部分だけを送信しました。
 自宅を数日間空けた後の朝のこの仕事(メールチェック)は大変なのです。莫大な(笑)迷惑メールを削除する時間に多大なるエネルギーを要するからなのです。時代の流行りなんでしょうが、良くも飽きずに送信するモノだな、と苛立ちと腹立ちの勢いで今朝もきれいに削除しました。
 皆さんからのメールは大事に読ませていただいていますのでご安心下さい。
 暫くは、自宅からのつまんないブログになりますがよろしくお願いします。

2010/01/19

広島での「2日目」の朝から




   ~念ずれば花ひらく~

 昨夜も先生方と美酒に酔いました。
 そして、憧れ(?)の広電にも乗れました。路面電車です。広島駅から「八丁堀」まで乗りました。そこは市内一の繁華街だそうです。教頭先生からいただいたマップを頼りに目的地『酔心』と言う食事処に辿り着きました。
 南観音小学校では、保護者対象の「子育て講演会」を午前中にお請けしていた日程と、午後は初任者教員の授業を観察して指導助言を担いました。全体研究会の時間は時間の関係で十分なまでの講話は出来ませんでしたが、「次回への楽しみ」として再会を約束しました。
 ご指定の『酔心』を訪問するのは数回目です。実は、ここには小生の敬愛する坂村臣民先生の「念ずれば花ひらく」と言う直筆の書額があるのです。初めて訪れた時、従業員の方に確認しましたところ、直筆との答えをいただいていました。写真に収めましたので帰宅してから、このブログにアップする予定です。どうぞ一緒に堪能しましょう。
 今日は庚午小学校への訪問です。英語の授業実践を公開します。5年生を対象にしてオリジナルの英語の授業を展開します。次の予定がありますので、終了次第帰路に着きます。帰宅は遅くなるのでこのブログのアップは明日になると思っています。
 旅先からブログをアップできるテクニックに我ながら満足している朝です。
 では、今日もご要請に十分な対応が出来るように務めてまいります。行って来ます。
【追記】 1月20日  自宅から
 念願叶った記念撮影です。書額も立派ですが、モデルも良いでしょう?
 

 

2010/01/18

広島から「おはようございます」

 ~広島から「感動の言葉」をお届けします~

 ノート型パソコンを「旅の伴」とした朝を迎えています。
 これは今回からの挑戦です。素人にとりましては不安だらけ。先ず、宿泊ホテルの客室にラン・ケーブルの使用がセットされているかどうか、です。この広島市での定宿は既にその設備が確認済みだったので初挑戦の場に選んだのです。
 昨夜は必死にブログの書き込みに挑んで、午後8時前には「開通した」成功感に浸ることができました。今日の勤務(?)は、10時までに学校へ到着するようにと指示が届いています。いつものように6時には『腰湯』(25分間)を行って、ラジオ体操をして、ドアの足元に届いている朝刊を読んで時間が流れています。朝陽がそろそろ部屋にも入り込んで来そうです。明るくなった景色の中に広島マツダスタジアムが眼下にはっきり見えてきました。今年こそ一度は観戦したいと心躍らせてはいますが・・・。
 今朝のラジオ深夜便「こころの時代」の登壇者の言葉には衝撃を受けました。ホスピス医療にかかわっておられる医師の言葉には重みがありました。ぐっと迫ってきた言葉を広島から送りましょう。「人間は生きて来たように死んで行く」と仰られました。実体験を通しての言葉だそうです。
 不満や不平ばかり言いながら生きて来られた患者さんは死ぬまで「不平と不満」を言われるそうです。「ありがとう」「お蔭様で」と感謝の気持ちで生きて来られた患者さんは医師にも看護士にも「ありがとう」「ご苦労様」「お世話になりましたね」と言って生涯を閉じられるとのこと。
 お蔭様で弛んだ神経が朝からピリッとしました。有難い時間をいただいたので今日の仕事も十分に実力を発揮できることと思っています(笑)。
 《追伸》 写真の取り込みが出来ませんので、帰宅してからアップします。「旅の写真館」としてスペシャルコーナーを設けます。お楽しみに!!

2010/01/17

阪神淡路の「あの日」から15年




 熱海から広島に移動して来ました。
 途中で「新神戸」を通過しながら、「あの日から」15年の歳月が過ぎたことを思い出しました。被災者の無念さと悲しさを思いやりました。新幹線車中で聴いていたラジオが、震災の年に誕生した赤ん坊も15歳になりました、と報じました。歳月の流れを痛感しながら広島に到着しました。
 ここ広島は「原爆投下」という被災からすでに65年の歳月が流れている所です。その時誕生した赤ん坊はもう65歳になっていると言うことです。
 いずれにしても「、「何も知らずに」誕生してくる次世代に、この悲惨さと哀しさは絶対に伝えなくてはなりません。滞在するホテルの窓を見ながらしんみりと考えている夜です。(初めて旅先からブログ送信にチャレンジしています)
【追記】1月20日 自宅より
 16日の新春教育講演会の写真を追加添付しました。
 撮っていただいた嶌﨑さん、ゴメンね。貴君の姿は(当然ながら)この写真では見えません。

2010/01/16

今日は『新春教育講演会』です


       ~新聞を読んで・・・~
 毎週土曜日の早朝(5時半頃)。NHKラジオ番組に同様のタイトルがあるのをご存じですか?大学教授が交代で登場されます。平均5社ぐらいの新聞記事を引用しながらの解説(講義)です。先生方の個性も当然ながら受け止めることにはなりますが、その時その時のニュースの変化に耳がダンボになることも多い時間です。今朝は『腰湯』をしながらでしたので浴室でラジオを聴きながら、話題に乗らない「ちっちゃな昨日の朝刊記事」(写真版)が脳裏を掠めました。ここはラジオでないので「新聞を読んで」ください。何でもない記事のようですが、小生には「見過ごすことのできない」大きな記事なのです。
 教育の責任。誰の所為?
 今日は恒例の(熱海市ホテル)『新春教育講演会』です。偶然ですが、演題が 「教育の責任」を追究する となっています。4種の資料を準備しました。冒頭にこの小さな新聞記事を取り上げることを(浴室の中で)思い付きました。会場にお越しいただけない方で、本日の講演資料(レジュメ)をご希望なさる場合は、当方のアドレスにその旨送信してください。添付ファイルにて返信いたします。但し、数日間出講していますのでその後の返信になってしまうこともご了解いただいてお待ち願います。
 今日は10時半には自宅まで車でお迎えに来て貰えそうです。有難く乗車させていただいて熱海に向かいます。数年ぶりに会う方々との再会が楽しみです。

2010/01/15

明日は恒例の『新春教育講演会』

明日は静岡県熱海市での教育実践『響の会』主管事業である恒例の「新春教育講演会」である。ここ数年は、仲間の他界や義父母の死去で「お正月」を言祝ぐこの会を催すことが出来なかった。泊を伴う年間1回の主宰事業でもあり、大きな楽しみのある会合でもある。全国から参加される仲間の皆さんとの再会がとても楽しみでもある。当初は5人の有志との懇親宿泊会であったが、いつの間にか30~50名ほどが集う大掛かりの宴会旅行にまで発展している。
 それが終われば翌朝には、JR熱海駅から新幹線ひかり号で名古屋駅乗り換えで広島駅まで移動することになる。月曜日と火曜日が広島市内の小学校での授業実践公開や保護者対象の教育講演会を務める予定。19日の夜の帰着になるが強行スケジュール第一弾ともなるので、体調を崩さないようにしてしっかり務めを果たして来たいモノである。
 しかし、ここ湘南にも「低温注意報」が発令されるという異常気象が数日間続いている。この寒波で本来のインフルエンザの流行に、また学校教育は振り回されるのだろうか?暖冬に慣れた老体は、一寸の外出も億劫に感じるほどである。そんなことに負けないで明日から頑張って行ってまいります!!

2010/01/14

鍼診療も10年目を迎えた

毎週木曜日は(何も無ければ)「鍼診療日」。
 今日も特段の予定がないので東京都町田市にある鍼診療院まで妻と一緒に出向いた。2000年9月2日から通い始めたので今年は10年目になる。妻も診療を受けるようになってからは車で通うことになった。現役時代は毎週土曜日を固定日としていたが、現在は木曜日と変わっている。診療を受け始めてから「くすり」を飲むことを止めた。妻は元来薬の服用を嫌っていたが、小生はことある毎に「お薬」のご厄介になる生活だったので、薬を断つには大きな意志決定が必要だった。
 人間ドックで「高血圧症」と認定され、医師をしている卒業生の診察を受け続けている時点で、「この薬とは一生離れられませんよ」との忠告を受けた。数年間通いながら憂鬱になった。薬を飲んでいれば血圧は安定しつつも、調合は変化し薬の種類も量も増えて行くではないか!不安を抱えているとき、長男が勤務していた福祉施設に通って来られる診療士を紹介して貰った。診療をお願いすることになった時点で手元にあった薬類を全て廃棄した。その決断には紹介した長男も「早まるなよ」との思いもあったようだった。薬害の大きさを診療の度に聞かされながら、「薬と縁を絶つ」ことに踏み切ったことに後悔はなかった。あれから10年余りの時間が流れたが、「くすり」は一滴も一粒も服用していない。「病名」への理解の仕方も学んだ。身体の75パーセントが水であることを納得しながら、体内に入れる「水」への拘りも本格的になった。
 妻と一緒に診療に通うようになってから「健康への関わり」では一致点が多くなり、妻の献身的なばかりの食餌療法によってホンモノの元気な身体に変わりつつあることが嬉しい。10年間の診療通いにも色んな出来事があった。運転できないほどの絶不調にも遭遇した。横浜に住む次女夫妻に送迎をして貰った日もあった。
 2010年の幕開け(1月)は全木曜日が診療に行ける。来月は仕事が立て込んで半分しか通えないが元気で片道90分間の夫婦ドライブを満喫しながら今年も通えるように心がけたいモノである。

2010/01/13

仕事始めも無事に完了


 「仕事始め」も無事に終えて帰宅。
 明るい時間の帰宅になったので疲労度もグッと軽減されたような錯覚。妻が自転車で茅ヶ崎駅まで向かえに来てくれた。かなりの低気温だったので無理をさせたのではないかと心配しつつ帰宅した。
 大阪市での仕事は初めてのこと。新大阪駅との往復は主催者からの指示でタクシーを利用した。JRや地下鉄を使わないと「街の香りや匂い」は体感できないことは百も承知。「旅をする」醍醐味は、「歩くこと」に尽きる。今回はただ行ってただ帰ってきただけとなってしまった。次回の機会には、歩きながら大阪の雰囲気を掴んでみたくなっている。
 早い時間の帰路だった。富士川を新幹線が通過するときに富士山撮影のシャッターチャンス(掲載写真)。超スピードの新幹線車中からの撮影はなかなか難しいが、随分上手になった(と、自分で褒める!)。写真左上の白い部分は新幹線車中の室内灯の光である。ご了解いただきたい。
 帰宅後は大相撲をTV観戦しながら夕食。大関・千代大海関の引退のニュース。ここにも世代交代が展開されている。

2010/01/12

2010年の「仕事始め」

1月12日(火) 
 今日から「仕事始め」。
 午後から移動する日程なので朝からバタバタすることはないが、何だか落ち着かない。正月明けの不規則な生活リズムに慣れていた老体も仕事の解禁日(?)ともなると身体がじっとしていられないらしい。昨夜は9時過ぎには眠ってしまったようだ。体内時計も復活して4時には目を覚ましてしまった。
 他人は笑いながら指摘するだろうな。
退職して6年。完全な年金生活者になったのだったら、ゆったりとノンビリした生活をすれば良いんじゃないの?と。自意識の中にはそれを受け入れる一片の意識が無いわけではない。しかし、性分とは恐ろしいモノで、何かが満たされない不満分子の意識が勝ってしまうのだから仕方がない(笑)。
 暮れに(小型の)ノートパソコンを購入した。『旅の伴侶』として持ち歩くためにリュックサックに入る大きさを選定した。パソコンも安価になった。外国産の無名のモノだがインターネットに接続して旅先で交信する予定はない。日頃収集している「資料」を整理したいためである。雑誌や新聞記事を手当たり次第にスキャナ撮りしているので、長時間を有効に使いながら整理しようと考えた。
また、別の指摘が耳に聞こえてきそうである。そんな資料を整理整頓してどこで使うの?使う場所があるの?と。それでも整理しておこうと奮い立つのも性分なのでしょうね。誰のDNAを引き継いでいるのだろうか(笑)。
 早朝の書斎。外はまだ真っ暗。ましてや、今日は西から雨雲が関東に向かっていると言うではないか。雨の日の出動。気温も下がるらしい。正常な人(私は異常か?)なら意識も萎えてしまうのだろうか?意欲が萎えるようになったらお断りするしかないだろう、とは開き直りの発想での回答でもある。
 意欲も萎えることなく、2010年の仕事始めが出来る嬉しい朝である。今日は大阪へ。明日の講演のための前日入りである。行ってまいります。

今年も「成人の日」に思う!

1月11日(月) 
~成人の日~
 今日も、玄関先に国旗を掲げながら、忘れかけてハッとする「祝日」である。色んな所で話題にしているので関係者には「耳タコ(=「耳にタコができる」)の台詞であるが、「1月15日が成人式でなぜいけなかったのか」と呟いてしまった。法案として国会が決定した祝日であるから、一人の国民としては「お祝い」する気持ちは十分である。法案にも決定できる根拠もあったのだろうが、この日が来ると、つい「不満な」思いが沸々としてくるのは私だけ?
 朝刊には「今年も荒れた成人式」との見出しで恒例の記事が飽きもせず載っていた。福井・長崎・沖縄の県内での成人者の醜態が報じられている。毎年のように繰り返される「大人になった初っぱな」の事態に胸を痛める。もう諦めるしかないないのだろうか。
大人への階段は長く感じるモノ。それは、大人にしか許されない「夢のような出来事」への羨望(期待)からしか生まれない感情である。しかし、大人になると「夢」は「厳しい現実」に豹変する。大人になって初めて知る厳しさである。そこには「羨望」が「自己責任」に変換されるからである。大人は呟く、「子供に戻りたい!」と。
 成人式での醜態?許す・許さないの課題は国民問題である。「祝っていただいている」感謝の気持ちは、その日までの19年間の家庭で、あるいは学校で育成されるべき重要案件である。大人として、世の中で「役に立つ」人づくりを忘れてしまっては素敵な母国の将来は危うくなってしまう。この詩をどのように感じ取っていただけるだろうか。

   どんな美しい記念の晴れ着も
   どんな華やかなお祝いの花束も
   それだけではきみをおとなにはしてくれない
        (『成人の日』 谷川俊太郎 作)

2010/01/11

孫達と一緒の「小さな旅」


1月10日(日)
 帰省中の長男一家と江の島まで行くことになった。
 孫達二人の目下の注目事は歩数計である。爺の常備品である「万歩計」とは比べものにならない程精巧な「玩具」要素のある歩数計である。「たまごっち」とか言う玩具が流行ったことがあったが、それに類似するような取り扱いのようだ。歩数が上がれば楽しいキャラクターに変身するらしく(=商品名:『変身カウンター』、部屋の中でも足を動かして、歩数を気にしている光景は滑稽でもある。しかし、「歩く」ことを基調にした玩具なので、強請られて買い与えた祖父ちゃんとしては決して不満ではない。
 孫達はそれを装着し、祖父ちゃんは万歩計をいつものように身に付けて出発した。自宅からJR藤沢駅まで車で行って、江ノ電(通称)に乗って江の島まで行く。帰りは湘南モノレールを利用して江の島からJR大船駅へ回って東海道線で藤沢駅に戻るコースを「歩き」を中心にして親たちは計画したようだ。江ノ電・江の島駅を降りてから島の中腹にある江の島神社までは園児が歩くには少々厳しい距離である。歩けるかどうか心配しながら「歩き」を開始した。しかし、装着品の御利益は凄いモノ。休むことなくコース全般を足取りも軽く走破であった。
 付き合った爺婆は疲労困憊だったが、こんな機会でもなければ「江の島神社」詣もしないのだから孫達に感謝すべきなんだろうな~。ご参考までに・・・祖父ちゃんの歩数計は8000歩を超えている。
 江の島へ渡る橋から西方遙かに「富士山」が見えた(写真)。参拝客の往来は激しくすれ違うのに一苦労する箇所が何カ所もあり、「まだお正月か」の雰囲気は十分に感じながらの「小さな旅」であった。

2010/01/10

孫群団・第2弾来る

1月9日(土) 
 大晦日から土浦の長男宅に行く予定だったが・・・。鬼の霍乱?37.6度の微熱に及び腰になってしまって大事を取ったので孫達とは今年初めての逢瀬である。早朝の5時には土浦を出たらしく茅ヶ崎の拙宅には(途中で朝食を済ませても)9時には到着。直後から閑かな爺婆邸は「賑やかな」時空に変貌である。
 2歳になったばかりの三男孫の成長に目を見張る爺と婆。人間としての成長には「教育する」オトナの目線が必要であると実感する。祖父ちゃんとお風呂に入りたい、との申し出を受けて二人の孫との入浴は至福の時間(笑)。烏の行水と言われる独りの入浴時間が、汗だくに変貌。
 孫達の今の流行り?万歩計(玩具の一種として販売)の歩数を意識する孫達は「歩く」ことを前面に出して動き回る。歩かない車社会の申し子達にとっては「願ってもない」玩具ではないか。「歩け・歩け」は祖父ちゃんとしての孫へのメッセージである。

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

フォロワー