2010/01/14

鍼診療も10年目を迎えた

毎週木曜日は(何も無ければ)「鍼診療日」。
 今日も特段の予定がないので東京都町田市にある鍼診療院まで妻と一緒に出向いた。2000年9月2日から通い始めたので今年は10年目になる。妻も診療を受けるようになってからは車で通うことになった。現役時代は毎週土曜日を固定日としていたが、現在は木曜日と変わっている。診療を受け始めてから「くすり」を飲むことを止めた。妻は元来薬の服用を嫌っていたが、小生はことある毎に「お薬」のご厄介になる生活だったので、薬を断つには大きな意志決定が必要だった。
 人間ドックで「高血圧症」と認定され、医師をしている卒業生の診察を受け続けている時点で、「この薬とは一生離れられませんよ」との忠告を受けた。数年間通いながら憂鬱になった。薬を飲んでいれば血圧は安定しつつも、調合は変化し薬の種類も量も増えて行くではないか!不安を抱えているとき、長男が勤務していた福祉施設に通って来られる診療士を紹介して貰った。診療をお願いすることになった時点で手元にあった薬類を全て廃棄した。その決断には紹介した長男も「早まるなよ」との思いもあったようだった。薬害の大きさを診療の度に聞かされながら、「薬と縁を絶つ」ことに踏み切ったことに後悔はなかった。あれから10年余りの時間が流れたが、「くすり」は一滴も一粒も服用していない。「病名」への理解の仕方も学んだ。身体の75パーセントが水であることを納得しながら、体内に入れる「水」への拘りも本格的になった。
 妻と一緒に診療に通うようになってから「健康への関わり」では一致点が多くなり、妻の献身的なばかりの食餌療法によってホンモノの元気な身体に変わりつつあることが嬉しい。10年間の診療通いにも色んな出来事があった。運転できないほどの絶不調にも遭遇した。横浜に住む次女夫妻に送迎をして貰った日もあった。
 2010年の幕開け(1月)は全木曜日が診療に行ける。来月は仕事が立て込んで半分しか通えないが元気で片道90分間の夫婦ドライブを満喫しながら今年も通えるように心がけたいモノである。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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