1月12日(火)
今日から「仕事始め」。
午後から移動する日程なので朝からバタバタすることはないが、何だか落ち着かない。正月明けの不規則な生活リズムに慣れていた老体も仕事の解禁日(?)ともなると身体がじっとしていられないらしい。昨夜は9時過ぎには眠ってしまったようだ。体内時計も復活して4時には目を覚ましてしまった。
他人は笑いながら指摘するだろうな。
退職して6年。完全な年金生活者になったのだったら、ゆったりとノンビリした生活をすれば良いんじゃないの?と。自意識の中にはそれを受け入れる一片の意識が無いわけではない。しかし、性分とは恐ろしいモノで、何かが満たされない不満分子の意識が勝ってしまうのだから仕方がない(笑)。
暮れに(小型の)ノートパソコンを購入した。『旅の伴侶』として持ち歩くためにリュックサックに入る大きさを選定した。パソコンも安価になった。外国産の無名のモノだがインターネットに接続して旅先で交信する予定はない。日頃収集している「資料」を整理したいためである。雑誌や新聞記事を手当たり次第にスキャナ撮りしているので、長時間を有効に使いながら整理しようと考えた。
また、別の指摘が耳に聞こえてきそうである。そんな資料を整理整頓してどこで使うの?使う場所があるの?と。それでも整理しておこうと奮い立つのも性分なのでしょうね。誰のDNAを引き継いでいるのだろうか(笑)。
早朝の書斎。外はまだ真っ暗。ましてや、今日は西から雨雲が関東に向かっていると言うではないか。雨の日の出動。気温も下がるらしい。正常な人(私は異常か?)なら意識も萎えてしまうのだろうか?意欲が萎えるようになったらお断りするしかないだろう、とは開き直りの発想での回答でもある。
意欲も萎えることなく、2010年の仕事始めが出来る嬉しい朝である。今日は大阪へ。明日の講演のための前日入りである。行ってまいります。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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