2010/01/12

今年も「成人の日」に思う!

1月11日(月) 
~成人の日~
 今日も、玄関先に国旗を掲げながら、忘れかけてハッとする「祝日」である。色んな所で話題にしているので関係者には「耳タコ(=「耳にタコができる」)の台詞であるが、「1月15日が成人式でなぜいけなかったのか」と呟いてしまった。法案として国会が決定した祝日であるから、一人の国民としては「お祝い」する気持ちは十分である。法案にも決定できる根拠もあったのだろうが、この日が来ると、つい「不満な」思いが沸々としてくるのは私だけ?
 朝刊には「今年も荒れた成人式」との見出しで恒例の記事が飽きもせず載っていた。福井・長崎・沖縄の県内での成人者の醜態が報じられている。毎年のように繰り返される「大人になった初っぱな」の事態に胸を痛める。もう諦めるしかないないのだろうか。
大人への階段は長く感じるモノ。それは、大人にしか許されない「夢のような出来事」への羨望(期待)からしか生まれない感情である。しかし、大人になると「夢」は「厳しい現実」に豹変する。大人になって初めて知る厳しさである。そこには「羨望」が「自己責任」に変換されるからである。大人は呟く、「子供に戻りたい!」と。
 成人式での醜態?許す・許さないの課題は国民問題である。「祝っていただいている」感謝の気持ちは、その日までの19年間の家庭で、あるいは学校で育成されるべき重要案件である。大人として、世の中で「役に立つ」人づくりを忘れてしまっては素敵な母国の将来は危うくなってしまう。この詩をどのように感じ取っていただけるだろうか。

   どんな美しい記念の晴れ着も
   どんな華やかなお祝いの花束も
   それだけではきみをおとなにはしてくれない
        (『成人の日』 谷川俊太郎 作)

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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