2010/01/27

親は「子どものためなら」頑張れるモノ!

 早朝の5時半に電話のベル。
 数年前の「習慣的反応」を思い出しながら湯舟で様子を伺った。『腰湯』のために浴室にいた爺にも電話のベルは聞こえていた。「電話のベルと連想」は数年前のある時期までは「凶」反応であった。介護が可能な義父を強引に連れだして九州から上京した。その時点は、義母が特養老人ホームに入所出来て、生活にも慣れて落ち着いたというケアマネージャーの報告を受け始めた頃である。義父母が九州と神奈川で別々の生活を始めた。ホームから事務処理のことでも電話が時々掛かっては来ていたが、ベルが鳴って電話の向こうがホームの担当者であると「ドキッ」としたものだった。容態は一進一退との報告にも慣れては来たものの早朝の電話には不吉な予感が先行した。遠距離の時空は縮めることは出来ないので「息を引き取った」の以前に「緊急な面会」要請が飛び込むことを想定するのであった。いずれは来る。その心の準備は出来ているつもりでも、真夜中や早朝の電話のベルは決して心臓に良いモノではない。
 妻の声の相手は長男のようだ。末っ子孫息子の具合が悪いようだ。湯舟で身動きもせず聞き耳を立てるのも辛いモノ。急性肺炎?まだ3歳に満たない幼児なので心配は心配だ。電話を切った妻が浴室のドアを開けて報告する。病院に緊急一時入院とのこと。ともあれ主治医の所での入院の措置であれば、取り敢えず一安心。共働き夫婦にとっては、こんな事態の時が最難題。お祖母ちゃんである妻は、すぐにでも孫の元に飛んで行きたいようだが、焦っても仕方がないと抑えながら、「情報から依頼」に変更したらスタンバイだ、と妻には告げた。
 同居していると不都合はないのだが、こんな時には何の役にも立てない。従って苛立ちもある。金曜日から広島に出講する爺には一層身動きが取れない。
 『腰湯』を終えてお茶と果物で軽食(老夫婦の朝食)を摂る。日頃無口な妻が更に無口になる。きっと末孫の容態を案じているのだろう。爺だって気にしていないことなどない。心配は心配だ。
 子育てには「良い思い出」は決して多くはない。こんな時にどうして熱を出すんだ!どうしても外せない用務の時に限って子どもの具合が悪くなる!子どもさえいなければもっと楽なのに!何十回こんな思いを繰り返しただろうか。長男夫婦も同じ親人生を辿っている。体力も付いて手も掛からなくなったと思えば自立して親元を離れていく。嬉しいことではあるが寂しくもある。
 40歳近くになってしまった(笑)我が3人の子供達も、幼児の頃はこのような日々を繰り返していたなぁ~としみじみ述懐する朝である。「子を持って知る親の恩」とは・・・・。親業真っ只中の全国の若い諸氏、後30年もするとこの爺のつぶやきが実感となりますよ。親は子どものためには頑張るしかないですよ、ね、同輩諸兄! 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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