~広島から「感動の言葉」をお届けします~
ノート型パソコンを「旅の伴」とした朝を迎えています。
これは今回からの挑戦です。素人にとりましては不安だらけ。先ず、宿泊ホテルの客室にラン・ケーブルの使用がセットされているかどうか、です。この広島市での定宿は既にその設備が確認済みだったので初挑戦の場に選んだのです。
昨夜は必死にブログの書き込みに挑んで、午後8時前には「開通した」成功感に浸ることができました。今日の勤務(?)は、10時までに学校へ到着するようにと指示が届いています。いつものように6時には『腰湯』(25分間)を行って、ラジオ体操をして、ドアの足元に届いている朝刊を読んで時間が流れています。朝陽がそろそろ部屋にも入り込んで来そうです。明るくなった景色の中に広島マツダスタジアムが眼下にはっきり見えてきました。今年こそ一度は観戦したいと心躍らせてはいますが・・・。
今朝のラジオ深夜便「こころの時代」の登壇者の言葉には衝撃を受けました。ホスピス医療にかかわっておられる医師の言葉には重みがありました。ぐっと迫ってきた言葉を広島から送りましょう。「人間は生きて来たように死んで行く」と仰られました。実体験を通しての言葉だそうです。
不満や不平ばかり言いながら生きて来られた患者さんは死ぬまで「不平と不満」を言われるそうです。「ありがとう」「お蔭様で」と感謝の気持ちで生きて来られた患者さんは医師にも看護士にも「ありがとう」「ご苦労様」「お世話になりましたね」と言って生涯を閉じられるとのこと。
お蔭様で弛んだ神経が朝からピリッとしました。有難い時間をいただいたので今日の仕事も十分に実力を発揮できることと思っています(笑)。
《追伸》 写真の取り込みが出来ませんので、帰宅してからアップします。「旅の写真館」としてスペシャルコーナーを設けます。お楽しみに!!
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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