2010/01/25

遡ること「35年前」


 今日は、午後から大和市に向かった。
 お世話になった方の訃報を知ったので(既に20日間は過ぎてはいるが)御霊前にお線香をあげるために妻と一緒に行くことにした。
 遡ること35年前。小生に長男が誕生した時、「お宮参り」の着物(赤ん坊だけが上から羽織るもの)の注文をしたかった。上京して10年にも満たない小生には地元での呉服屋さん等知る由もなかった。長男誕生の知らせで九州から上京してきた義母は和裁の専門家。反物さえあれば仕立てることが出来ると言う。従姉(妻の)の嫁ぎ先の義理の叔母が呉服店にご勤務(だったかも知れない)という幸運な出会いがあった。ご紹介していただいて立派な晴れ着が出来上がった。それは、勤務していることの有無ではない。愛情である。親身になってお世話を戴いたことは決して忘れてはいなかった。
 時は流れ、晴れ着を身に羽織ってお宮参りした長男も35歳になった。その息子たち(孫)が七五三を迎える時代になった。和裁専門家の義母は既に亡くなっている。しかし、叔母様にご調達いただいた生地は生きている。そこで、「祖父ちゃん」なった父親としての小生は、何としても(従姉の)叔母の愛情と義母の技術で拵えた晴れ着を、仕立て直しをして孫たちの「七五三の晴れ着」にしたくなった。長女の住む千葉県佐倉市の呉服屋で依頼をお請け戴いた。待望の七五三の晴れ着が昨年秋には完成した。二人の孫息子達が交替でその晴れ着で七五三の祝いをすることが出来た。天国の曾祖母ちゃんも喜んで貰っているだろう。感無量!
 20日前に亡くなられた義理の叔父(妻の従姉の)の奥様にお見せして、お礼を申し上げたく、今日はその「二人の孫達の晴れ着姿の写真」を持参した。勿論、訪問の第一目的は御霊前へのご供養のご挨拶であることは百も承知。お線香をあげてお参りを済ませてから、介護のご様子や生前のエピソード等をお聴きしながら世間話に話題が展開した。
 おもむろに写真を取り出してお見せした。そして、改めて「お礼」を申し上げた。驚かれた様子とご記憶の中で思い出された表情にホッとした。本当にお世話になりました、と当時の愛情あるご好意に今更の如く深く感謝の意を述べた。不謹慎とは思いつつも、「お許し下さい」と叔父様の霊にも頭を下げた。
 その叔母様から小さなカードを戴いた(写真)。人生訓として大事になさっている言葉のようである。正にその通り。じっと見詰めながら35年前の「出会い」に感謝するひと時となった。すっかり長居をしてしまった。お世話になったご高齢の叔母様ご一家のご健康とご多幸を祈りつつ妻と一緒に帰宅した。ありがとうございました。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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