~阻止された祖父ちゃんドライバー~
今日から千葉の孫たちがやって来るとの情報でした。退屈しのぎに格好の時間になるとばかりに逸る気持ちで、こちらから迎えの車をチャーターすることにしたのであります。つまり、この祖父ちゃんがドライバーになって孫たちを連れに行く予定となっておりました。しかし、早朝からの雨脚が更に強まり、空は低く雨雲が垂れ込めている悪天候になってしまいました。
千葉と連絡を取りました。
開口一番、長女の声は「無理しないで!」だったのです。確実な阻止発言であります。電話連絡している親父を見詰める同居の長男は、無謀は許さないとばかりに立ち聞きしておったようで、今日の行動は中止になったことを確認できた瞬間から休日出勤の準備を済ませて車庫から車で出かけて行ったようであります。
しかし、味方の数は確かでありました。
同居の孫3人と千葉の孫2人は、お互いの交流が遮断されたための単純な理由で不満を全身に表わしての祖父ちゃんドライバーの味方となってくれたのであります。
本心は、いや内心では祖父ちゃん当人が一番ホッとしていることは事実であります。この爺だけには何が起きても、同乗する孫たちに何か災難が降りかかたのでは「死んでも死にきれない」心情になので、無理しての迎えは避けたいとは思っていました、しかし、孫軍団の願望も果たしてあげたいのと入り混じって、複雑な心境でもあったのです。
今日はこれから、のんびりと読書でもして天気回復を祈りましょう。明日は千葉から母親の車でやって来ることになりそうですから・・・。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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