~「男の子」のお祝い~
桃の節句と端午の節句。
子どもの頃の、この二つの違いの発想基準は「祭日」であった。3月3日も「祭日」にしてくれたら良いのに!がその主因だった。周囲の女の子たちからも「小さな声」は聞こえてきたがその願望は成就しないままに時代は今日まで至っている。
名称は第一印象として残る。
3月3日は「ひな祭り」とも言われるが、5月5日にはその類の別称はない。環境や装飾は「段飾り」と「桃の花」、に対して「鯉のぼり」「兜」と「菖蒲」と趣が大きく異なる。歌詞は「灯りをつけましょぼんぼりに・・」と「甍の波と雲の波・・」と、ここでも「内」と「外」とが意識された性差を感じる。
国民的文化として考えれば性差を意識するのは当然としても、『こどもの日』と総称されれば、そこには性差は不要ではないだろうか。男の子と女の子の本質を区別することが差別として理解されないためにも、こんな命名にももう少し神経を遣いたいと考えるがいかがであろうか?
少子時代の到来である。
『こどもの日』を意識せざるを得ない時代になってからでも遅くない。子どもの幸福を願うのであれば、男女の区別は無い。文化に支えられる環境づくりであることを考慮したいものである。
「子ども」達が集うと、やっぱり凄い迫力である。そこにはエネルギーが存在する。家の中に熱さも感じる。今回のGWには転居先に孫が終結した。家や庭を走り回る後にはゴミが追随する。祖母ちゃんが昨晩は一番に眠ってしまった。孫娘が「お祖母ちゃんは疲れたんだね」と祖父ちゃんに囁いた。朝から晩まで動きっ放しの老妻にとっては久しぶりの重労働だったんだろう。祖父ちゃんはのんびり(笑)。
母屋の長男一家は鬼怒川(=栃木県)へ家族旅行に早朝から出発した。千葉からやって来た長女の子ども達は「霞ヶ浦・帆引き船」を観光して、祖父ちゃんの車で送り届ける予定である。そうすると我が家の『こどもの日』も本日で終わる。今夜は爺婆だけの静か過ぎるほどの静寂の夜を迎えることになる。
子どもは宝(=生きるエネルギー源)である。
それをしみじみと感じた「大家族の生活」のリズムである。大家族に「こども」が存在しないと意味が無い。さぁ、今日一日、爺婆業に専念することにしよう。今夜は祖父ちゃんが即刻の就寝だろうなぁ~。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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