~4年ぶりの参列~
4年間ぐらいは・・・、と物事によっては片づけることも出来るが、今回はしみじみとその『期間の長さ』を感じ入る程の結婚式への参列である。しかも、直縁ではなく「親戚」という括りになってしまう新婦との関係者として出向くのである。30年ばかり前の状態を想像するとウソのようである。
「結婚式貧乏」と自称した時代の話。
ある年の秋の10~11月の2か月間。その土日が2日を除いて全てが「結婚式」に参列したという歴史が残っている。しかも、その間に2回の仲人役と3回の司会役をも務めるという激務(笑)も伴っていた。妻は愚痴ひとつ言わずに「祝儀袋」を準備していたが、ついに「貧乏宣言」をせざるを得ない状況下に陥った。これは確かな記憶である。中学校で学級担任をしていたクラスでは冗談半分にそんな状態に触れたこともあった。10年ばかり経って結婚式への招待状が届いた。その封筒の中に、「先生、お祝儀は不要です。晴れ姿を見に来ていただけるだけで幸せです」との新郎や新婦となる教え子のメモ書きが入っていた。今となっては笑い話ではないか。
時代は流れて三人の我が子たちの結婚式を済ませる頃には学級担任ではなくなって結婚式も遠ざかった。管理職を10年間以上務めながら、その間「上司として参列」したのは2回だけである。その頃から結婚観も結婚式観も急変していたのだと今になってみるとわかるような気がする。
パラサイトシングル300万人超え。
新聞の見出しにこんな活字を追いながら、人類文化の変遷に感じ入ってしまう。活字の主人公は30~40代の若者である。結婚の有用・無用論を論じているのではない。戦後70年になろうとする我が国に、新たな社会現象として今後の課題を表出していると言えるのではないだろうか。
結婚式に纏わるエピソードには枚挙にいとまがない。
今日は、祝詞も無ければ余興もない。出番のない気楽な結婚式を愉しんで帰って来ることにしよう。実は、この体が小生の理想の参加体制であったのだが、今まで一度の経験も無い。この歳になって「夢の実現」である。そんな無責任な身軽さが足取りも軽くしてくれそうだ(笑)。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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