~今夏も暑くなる?~
私用で午前中を留守にした昨日の事。
帰宅すると、窓の下にあるちっちゃな敷地面積に妻の願望である緑のカーテンができる下工事が出来ているではないか。休日の午前中を利用して長男がホームセンターから材料を購入して作ってくれたらしい。彼は勤務先が「障碍者施設」なので、野菜の苗も大量に栽培している。ゴーヤもキュウリも、そして向日葵も彼が母親にその苗を渡したのがきっかけである。
茅ヶ崎の自宅にはそんな場所(余地)も無かったが、ここはどうにでもなる。
妻の夢が小さく開花しそうである。苗を買って来た妻は庭先に植えている。その苗からきれいな花が咲き始めている。妻の夢??は自分で育てた花を切り取って仏壇の花として供えたいのだそうだ。
金魚草も赤・黄・ピンクと多彩な色で咲いている。嫁も(名も知らぬ)可愛い花を沢山咲かせているので、仏壇の花は彼女らの真心で枯れることも無い。さぞかし天国の両親も喜んでいることだろう。小生はカサブランカの栽培に命を懸けている(笑)。丈が1メートル以上まで伸びて花芽がはっきりと見えてきた。この花は亡くなった義母のお気に入りの一つである。咲いたら仏壇に供えるぞ!(咲けば、のお話)
昨日、今日と陽射しが強い。
今日はこれから横浜に向かう。教員採用試験受験者に向けての講座を担当するからである。担当領域は「採用試験・小論文」の指導である。語りかけながら考えることが多い。それは日常的な「情報収集」の習慣が欠乏していることである。通り一遍の論述では玄人の審査員の心を掴むこと等難しい。
「~らしい」という噂話程度のレベルでは論究できない。ましてや、将来は教員として活躍してもらわなければならない受講者たちである。やさしく厳しさを語ることに神経が磨り減る(笑)。何せ、単刀直入型の人生を生きて来てしまったからである。
窓の下に目を出したゴーヤや朝顔が、長男がつくってくれたカーテン(網)で素敵な緑のカーテンを創り上げてくれることを願いつつ、横浜行きの準備に取り掛かる事にしょう。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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