~予告はしてありましたが・・・~
数通のメール着信に、当人が驚いています。
既に当方のホームページが5月20日で終了することは1か月ほど前ぐらいから当ブログでもお知らせしておいたのですが、仰天されたようです。そして、この老輩の健康状態を危惧なさったようです。ご心配をお掛けしましたが、このブログの存在をお知らせすると安堵された内容の返信が届きました。
無責任且つ好い加減な書き込みを続けて10年の歳月が流れてしまいました。管理人である同業者(現職の教員)には、小生では想像できないご苦労を掛けてしまいました。当事者としての責任を感じているとの思いも十分に伝わっていますが、インフォシークというHP業者の経営がストップしたのですから管理人には何の責任もありません。氏の努力に感謝こそすれ責めること等全くございません。このブログが続けられる期間を十分に活かして生きたいと考えていますのでご愛読願います。元気で過ごしていますので他事ながらご安心願います。ご心配に、寧ろ、驚きつつ、改めまして心より感謝申し上げます。
今日は我が老夫婦恒例の『鍼診療日』です。
本籍地のある神奈川県高座郡寒川町の役場に用事があるので、いつもより3時間早め(6時半ごろ)に自宅を出発して診療所のある東京都町田市まで向かいます。診療所からは遠隔地に転居したので隔週の通院にしました。一般の医療(「歯の掃除」)の支援を受けることなく、薬を飲むことも無い12年間を過ごしている老体は「鍼診療」の賜です。今日は雨の一日になるそうですが、老妻と一緒に頑張って行ってまいります。
行ってまいります!!
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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