2012/05/20

不発に終わった手投げ弾

  ~こんなことって有り??~
 2001年から始まった浜松(静岡県浜松市)通い。
 それは一人の教員との出会いがきっかけであった。「管理職になる教員文化」への思考回路を有しない教員の言動に愛着を感じて年に数回の訪問をすることになってから早や10年間が過ぎてしまった。
 そして第30回(以前のブログでの「50回」は誤記)目の講座を迎え、感動と感謝の気持ちを伝えるための浜松訪問だった。現職時代から始まった全国で開講している『響の会』という教員の自主研修会であるが、10年以上も続いている箇所が本拠地である神奈川県茅ケ崎市とこの浜松市である。
 ここでの研修講座には管理職の参加は皆無に等しい。他会場との違いはそこにある。管理職の推奨で参加して来る教員はゼロであるこの研修会が何故に10年以上も存続しているのか。考えれば考えるほど奥も深い。地味で目立たない(「代表」として名を連ねる)教員の自然体が創り上げた足跡であることは参会者なら誰でもわかる。リーダーシップの似合わないこの「代表」の存在感が何故か大きい。
 実は小生のホームページもこの教員の苦労の作品である。
 氏の伝言では今日辺りがホームページも店仕舞いとなるようだ。浜松『響の会』の歴史と同一歩調で歩いてきたこの力作も侮れない。感謝こそすれ、不平不満など全くない。研修会を「閉じます」という爆弾宣言を「心に秘めて」出講したのが今回だった。
 思いがけない参加者の顔ぶれに再会したり、小生のホームページから情報を得て、初めて参加したという意欲的な若き教師たちが(皮肉にも)、店仕舞いを宣言しようと乗り込んだ会場で出会ってしまった。こんなこと、って有りかな?真剣な苦笑である。意気込みの出鼻を挫かれてしまった。
懇親会でも「あと3年」は続けたいとの氏の発言に、持ち込んだ爆弾は不発のまま「敗戦」を意識して帰路の新幹線に乗り込んだ。 
 そんな『感傷旅行』は、氏が教職を去る3年後まで、この老兵を戦場に駆り出す意向らしい。喜ぶべきか?哀しむべきか?それが3年後に結果として出ることになった。写真は同じものではありません。お互いが全員が映るように交代でシャッターを切ったために2枚になっています。登場した代表がどなたかお分かりになりますでしょうか?

 爽やかな疲労感を携えて、間もなく本日の会場に向かいます。今日は横浜市です。教員志願の若い集団への指導講座に出講します。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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