2012/05/29

朝刊の記事に涙

~「避難先」 戻りたくない~
 昨日の前首相の議会(国会事故調査委員会)対応を垣間見た。
 腰を据えて見るほどの期待は無かったが、表情を見詰めると腹が立った。途中で画面から離れても腹の虫は治まらなかった。『責任とお詫び』の言葉が軽過ぎた。あれから、もう1年以上が経っている。実直な国民性をそのままに被災地地元民の皆さんは望郷の念で懸命である。ドキュメンタリーも目をそらしながら見ている自分が情けなくなるほどである。無力な自分が嘆かわしい。
 そんな思いで朝刊に目を通して唖然とした。
 27日に一時帰宅された男性が行方不明とのニュースに不吉な予感があった。それが的中していたからである。こんな哀しい人生の選択も、あの事故がなければ!との縁者の心痛を察すると、昨日のTV画面がまた浮かんできた。鬱憤が晴れない。新聞の記事は「自殺か」と言及している。地元の町長さんのコメントが、また哀しい。「生活再建に向けたビジョンを国や東電が示さなければ、新たな犠牲者が出てしまう」と語っているではないか。
 責任の所在。
 気が付けば、「誰かの所為」にする風潮と、生活保護も「貰えるモノは貰っておけ」という自己責任の逸脱ぶりが横行してしまった。戦後60年以上、我が国の歩んできた動きの検証を「国の責任」で急いで行うべきだ。
 ゴネ得・逃げ得という小さく見える事件が、実は大きな国家現象として自国を滅亡に追い込む事にもなり兼ねない。ともあれ、被災者救済の国家体制は、何よりも最優先事項であることを新聞記事で感じた。ご冥福を祈る事しかできない心痛はまだまだ当分の間続く予感がして堪らない。
 ここ北関東にはまた、竜巻注意報が発令されている。
落雷の怖さを知っている小生には被害が無いことを祈るだけである。地上の人間界もおかしいが、自然現象も同様に想像を絶する無軌道な荒れ方ではないか。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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