~「手入れ」の重要性~
齢何歳になられているのだろうか?
隣接する栗畑の持ち主であるご高齢の主と立ち話をする機会があった。小生が苗を購入してミニ畑に植えていた時が最初だった。ピーマンと茄子、キュウリと立札(笑)付きのミニ畑を垣根越しに覗きながら、遠い昔の日々の話から始まった。
それから数回とご講義を聴講している。毎度のことながら若かりし日々の「お百姓さん」の働きぶりの話は、何度聞いても爽やかである。
今回は、両手に笹竹(長いのは2メートル弱)を抱いてのご登場だった。素人の畑作りを横目に見ながら栗畑の草刈りでもされたのだろう。キュウリの支柱として使うようにご持参いただいのである。恐縮至極。
便利に見えそうな市販の支柱(緑色の)への批判と、ご持参の笹竹との価値観の相違を講釈された。聴き入っていた妻が、「昔の人の知恵」はやっぱり素晴らしいわね、と呟いた。全くの同感!
下草刈りの重要性の講義は第二部だったが、これも神妙に受講した。
秋は実った栗がボトンと音を立てて自宅の窓辺に落ちる。連続して耳に入る音に初めは『何の音?』だったが、直ぐに『実った秋の音』とわかった。そんな日を迎えるための下草刈りが、いかに重要であるかを老師は説かれたのである。手入れの工程を抜くと「期待した実り」に到達しないのだ、との言葉が妙に肝に響いた。
今日から、暫くこのブログも休刊。
広島市から~横浜市への4日間の移動である。「下草刈りの手抜き」にならないように訪問先でも力説してまいりましょうかね(笑)。行ってまいります!!
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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