~低気圧とは異次元の強度~
約束していた「孫迎え」のドライブが日本列島を襲った低気圧の関係で中止になったのが昨朝のこと。その後、千葉にする娘から、婿も仕事が休みだとの情報が入る。5年生の孫娘は土浦のお祖父ちゃんが来ることが出来ないのであれば、父親が送ってくれれば良いじゃないか、と掛け合っているとの情報が第二弾として届いた。
待ち構えていた母屋軍団も拍子抜けしたらしく、嫁が「床屋さん」に連れて行って来ます。と外出した。早い昼を食べて横になった祖父ちゃんが目を覚ましたら「世界が急変」していた。
途中の駅まで両親に送り届けて貰ったらその後は常磐線に乗って二人で土浦に向かうという予定になってしまっていた。「さぁ、大変」と、電車の時刻表と睨めっこの祖父ちゃんは母親(娘)にメールを送信する。「何時の電車に乗せたか」を正確に送信するようにと請求した。
乗車時刻を受信してからも4:35着の電車到着までの1時間。小学生2人が無事に到着するまでの心配は異常だった。我が子には同じ年齢の時代に、小田原駅から新幹線で九州の実家まで帰らせた父親であったことを思い出しながら、「同一人物か?」と疑うほどの心配性になっている。下車駅は改札口が1か所なので間違いはない。しかし、道中のハプニングまで取り越し苦労する自分が可笑しくて仕方が無かった。
雨の降りしきる中、二人で手を繋いで改札口に立った時は無事に感謝した。
その後は「母屋」と「離れ」は「上を下へ」の大騒ぎである。幸せにも茅ヶ崎時代と違ってどんなに大声を上げても近隣から苦情が飛び込むことは全く心配ない。9時の就床時刻までの孫軍団のエネルギーにただただ圧倒されるばかりだった。
昨晩はお得意の「祖父ちゃんの昔話」の効き目が少々遅かった。興奮度が勝っていたようだった。寝息を確認しながら老妻に「お疲れ様」の一言を発して、自分を見失うほどの心配性になってしまった祖父ちゃんも眠ってしまったようだった。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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