~今度は『竜巻・突風』~
隣市とは言え、コースが間違えばどこでも被災してしまう。
今日は新聞が休刊日なので詳細の情報を得ることは出来ないが、テレビ画面で見ると怖くなってしまう。上空から撮った画面をみるとその爪痕が「一直線」に続いていることがわかる。一歩間違えば他の地域でもその一直線上で被災することになることを考えれば、防ぎようのない自然の猛威には戦慄が走る。
たくさんの方々から状況を心配して電話やメールが届いた。有難うございました。
昼間の明るさが一変して真っ黒な雲と台風のような風の強さに加え、耳を疑うような雨音(=正確には、昨日は『雹』の落ちる音)には打つ手も無いほどである。倒壊した住宅に押し潰され尊い命を落としてしまった14歳の中学生の無念さは、ただただ自然の驚異を実感するばかりである。
津波に怯え、竜巻に怯む光景は「世も末」とばかりに落ち込んでしまいそうである。そして、何かに八つ当たりをしたくなる。しかし、地球環境の変化は一朝一夕に出来上がったモノではないだろう、とだけは理解できるので複雑な心境に陥ってしまう。
我が家や周辺の被害は無かったが、被災された皆さんの無念さを考えると頭が重くなる。しかし、今朝もヒンヤリとする冷温で数日前の30度近い気温との落差に体調を合わせることも難しい。数日前には名古屋地方でも大きな揺れ(=地震)があったと恐怖のメールも届いている。どこでも、いつでも自然の驚異に遭遇しても不思議ではない世相になっているのが怖い。
そんな連休明けの朝、小学生の孫たちは元気に登校して行った。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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