~「少年の日」に戻って(笑)~
出版社からの執筆依頼原稿があったことを忘れていた。暑さの所為?
そうではないが、暑くてどうしても原稿執筆に気持ちが向かなかったと言った方が妥当かも知れない。同時に、生活リズムの変化に「意欲」を上手に乗せることが出来なかったと言っても間違いにはなるまい。8月初旬に始まった第1弾の孫守りからお盆行事への大移動。そして第2弾の孫守りと続いて、2つの取材の予約への対応と20日までは「自己中心」のリズムから遠ざかっていたという環境もあって、パソコンに向かって「原稿を書く」という時間設定が出来なかったのである。今日は久し振りに、忘れかけていた「自己中」リズムが復元できた。
その手始めは「児童書」の再読である。
再読と言っても55年も前に読んだ児童書である。ページをめくりながら「こんな内容もあったっけ?」「全く覚えのない場面だな」「主人公の苗字って、こうだった?」と老脳に問い直しながら午後のひと時を少年時代に戻って(戻れる訳が無い!!が)読んでみた。小学校5年生で読んだ時点での感想がどうであったかも朧気ではあるが、確かに視点も観点も違っているだろうな、と苦笑しながらの楽しい読書の時間となった。
この(指定)児童書に関しての「執筆依頼」なので、このブログの読者には敢えて児童書名も伏せておきたい。その内に発刊されたら小生の担当部分だけでもこのブログでご紹介しようと考えている。期待は不要である。そんな類の原稿である。
気が付けば「夏の高校野球」も決勝戦が終わってしまっていた。
これが終わると日本列島には秋がやって来る。そんな風土記を意識しているからである。しかし、今年の夏は終わることを知らないのではないかと、逆に心配にもなる。しかし、しかし、不思議なモノで書斎を吹き抜ける風が午後は北風である。そうなると「秋近し」をふっと体感するような気になってしまうのが可笑しいではないか。気分では季節は変わらないが、「そう思いたい」というイメージでこんなにも感じ方が変わるのである。
今日も数通の「残暑見舞い」のお葉書を頂戴した。懐かしい高校時代の級友からの葉書も届いた。元気で暮らしている様子になぜか安堵する。明日の朝は返事を書いて投函することにしよう。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
0 件のコメント:
コメントを投稿