2010/08/05

8月1日 『二十歳の集い』

  ~9年の歳月が流れて・・・~
 2001(平成13)年4月1日
 新設開校した小学校が開業しました。
 4月5日の入学式・始業式の前日準備のために新6年生が、4日に臨時登校となりました。二つの小学校の児童数増加に伴い分離開校したためにこの集合は6年生を担当する教員には「学級開き」の前哨戦でもありました。小学校生活残り1年となっての「学習環境の移動」なのですから、当事者にとっては何とも言えない不安と焦燥感があったようです。
 当時の校長としては知らないことばかりが飛び出しました。
 担任を請けた二名の教員には拷問のような日々が続いたようでした。真剣に取り組んでくれていた担任教師にはどんなに御礼を言っても言いすぎることは無いほど頑張ってくれました。再会したこの『二十歳の集い』の会場に、当時の校長・教頭・学級担任2名が会場のランチルームに入室した時点で2人の脳裏を掠めた思い出は急速回転する走馬燈に入りきらないほど沢山の画面が映ったことでしょう。
 2人の教師の「挨拶」にその深い思い出が詰まっていました。
 あれから9年間。当時の小学校6年生が、今や大学生になっています。そして、「校長先生の英語の授業」をハッキリ覚えています、と述べながら「将来は英語の先生になります」と宣言してくれた卒業生が2名もいました。驚きました。卒業直前まで「校長先生からの贈り物」として、元・中学校英語教師が数回の授業をしてみたのです。真剣に受講してくれたことは勿論覚えています。その後は、これが前例になりました。この前例に倣って卒業生には必ず『校長先生と英語の授業』となり卒業プレゼントとなりました。
 懐かしい思い出話に花が咲いていましたが、中座しました。その時点で持参したカメラで彼らの集合写真を撮りました。これからの更なる成長を祈るばかりです。

 遅くなりましたがお約束通りに新設開校の小学校・第一回生卒業生の「二十歳の集い」の様子をお知らせします。子連れの卒業生も出席していました。いずれは父親・母親になる卒業生達の前途に、幸多からんことを祈る祖父ちゃんです。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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