2010/08/08

第15回 ちがさき『響の会』夏季特別セミナー




  ~平成8年の発足から~
 今は亡き大瀬敏昭君と「10年間続ける」との意気込みで1期5年間を基盤にして『ちがさき教育実践ゼミナール・響の会』(発足当時の名称)を起ち上げた。前哨戦はそれより遡ること3年前である。市教委の指導課長を拝命していた小生は、係長であった大瀬と一緒に現状の教育課題について夜な夜な議論していた。到達したのは目の前で活動している「指導主事」達を教育して現場に返してあげることだろうとの結論に達した。身近な「将来の管理職」候補者が10名いるのだから、最低でも10校の校長が誕生することの確率は高いと踏んだ。
 課内での指導主事研修が始まって2年間。そろそろ教頭先生として学校現場に戻っていく指導主事が出始めた。3年目の夏、「そろそろ小生も学校現場に戻る」予測が立ってきたので、一般教員を巻き込んだセミナーを創案したい旨を当時の指導主事達に伝えると全員が賛同してくれた。開設の準備に取り掛かるのも早かった。
 大規模にならない「ゼミナール」(大学時代の「ゼミ」を想定)形式での始発に落ち着いて年度内にほぼ準備を終えた。翌年には想定通りに小生が新米校長として小学校に着任し市教委の肩書きが取れた名刺には『ちがさき教育実践ゼミナール・響の会』会長が記されることになった。
 あれから15回目の夏季特別セミナーである。
天国の空から大瀬君も確認していることだろう。この大きなイベントが終わると墓参することが小生の年中行事である。「区切りの良いところで止めようかな」と、墓石に向かって話しかけてみようかな。ヤツは何と応えるのだろう。
 今回は、念願だった講師の基調講演にも満足した。研究者としての姿勢が実に分かり易く、現状を踏まえての話題提供には若い教員も身を乗り出すほどであった。
 実践発表(1)の盲学校校長の体験実習を取り込んだ時間も有効だった。教員5年目の溌剌とした実践発表(2)も素晴らしかった。この教員が在勤する学校の校長は大瀬君の秘蔵っ子として茅ヶ崎市立浜之郷小学校勤務次代に厳しい薫陶を受けている人物である。
 15年間の内に世代交代が進んでいることを実感した。若き教師の発表の裏に『響の会』の歴史を噛み締めた。何とも言えない感動である。瞼を閉じると熱いモノが込み上げてきた。そんな感動をバネにして、次代の運営委員さん達は来年に向かって始動するのだそうだ。懇親会も珍しく二次会まで盛り上がり暑い夏の夜も吹き飛ばしてしまいそうであった。
 暦の上では今日は、もう秋。残暑お見舞い申し上げます。残暑も厳しいことでしょう。どうぞ夏の暑さを乗り切って実りの秋をお迎え下さい。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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