2010/08/20

可愛い「記者」の取材を受けました。

  ~30年前の記憶~
 午後2時の予約で中学1年生の記者が自宅に取材にやってきた。
 「わが町・茅ヶ崎 プロジェクト」での、茅ヶ崎にゆかりのある「ひと・もの・こと」を取材してレポートをする夏休みの課題だそうだ。小生の教え子のプロ野球選手(=中日ドラゴンズ投手・山本昌広)を「ひと」として選択した中学生が、事前に質問事項を書き込んだ用紙を読みながらの盛りだくさんの取材であった。
 「中学時代の山本マサ選手のこと」で幾つもの質問を浴びせられ、内心冷や汗をかく始末であった。なぜならば「記憶が蚊帳の外」に出てしまっている。中学生らしい、素朴で可愛らしい質問であればあるほど「記憶に御座いません」と応えそうになって焦ってしまった。野球部での活動以外の質問には応えに窮した。目玉の質問は「こんな立派な選手になると思っていましたか」であった。正直に対応すれば「少年の夢」を砕いてしまいそうで躊躇した。しかし、事実をストレートに応えることにした。賢い野球少年らしく、「中学校を卒業しても中学校時代に学んだ努力することの大切さを山本マサさんはプロの選手になっても続けたと言うことですね」と纏めた発言には「そう言うことですね」とろれつの回らない答弁になった(苦笑)。
 「僕も、山本マサさんみたいに、これからが大事だと言うことを心に言い聞かせて頑張ろうと思いました。家に帰ってきちんと纏めてみたいと思います。」
 しっかりした口調で御礼を述べて自宅に戻って行った。その自転車の後姿を追いながら「期待できる若者」との出会いに心豊かな気持ちになった。決していい加減な応答をしたわけではないが、『30年前の記憶』をまさぐりながら悪戦苦闘する老脳に加齢を実感した時間となった。しかし、「取材を有難う」、と中1記者に御礼を述べなくてはなるまい。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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