2010/08/10

「茅ヶ崎の昨日」はこんな日でした。


  ~故郷への帰国報告パレード~
 有名人になるとその人の『故郷フィーバー』は凄い。JR茅ヶ崎駅から茅ヶ崎市民文化会館までは徒歩で5分も掛からない。幹線道路・国道1号線を横切るので車輌の往来は頗る多い。地下道が出来ているので歩行者の姿が無くなった分だけ交通渋滞は随分緩和されたようだ。しかし、天下の「東海道」を時間限定(今回は30分)にせよ交通規制をするのは「大事件」でなければ不可能である。宇宙飛行士・野口聡一氏の「故郷への凱旋パレード~」の時間帯であれば茅ヶ崎市民にとっては喜ばしい大事件なのである。
 古いお話しで笑われそうだが小生の少年時代のこと。九州の片田舎で育つ男の子達には誰からと無く、「故郷に錦を飾る」というフレーズが聴かされたモノだった。「都会に出て出世して故郷に帰ってくる」のは、上京する時に誰もが描いた夢でもあった。しかし、その多くは大願成就どころか負傷兵の如く「言い訳を考えながら」の里帰りであった。ちょっと囓った大阪弁や東京言葉を発する彼らの間違ったプライドが余計に哀れに感じたモノだった。(小生が少なくとそう感じていたことだけは事実)
 素晴らしい偉業を達成した野口氏の実家への滞在は今回は無いらしい。今日はアメリカへの帰国だという。大出世した子どもを持つご両親は「我が子」と接することも出来ないそうだ。これもその大偉業の副産物か。親孝行と言う小生の「分類」で納めておこう。
 野口氏一家は校長として勤務した小学校から徒歩で2分ぐらいのところの居住者。愛娘の体験入学のお願いで野口ご夫妻が来校され親しくお話しする機会があった。まだヒューストンでの現場疑似体験の研修中の時期であった。その後2年間は体験入学者(夏季のみ)としてお子様をお預かりしたので親しみは非常に大きいモノがある。
 元気で世界の宇宙開発研究のためにご活躍を期待して止まない。



 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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