~震災見舞いへの心遣いに感激~
現役の中学校英語科教員最後の勤務校の学校長には大変お世話になりました。指導主事を拝命して現場を離れる時点で校長先生は定年退職でした。そして、数年後に呆気ない人生の幕を閉じられた時は大きな衝撃を受けました。その奥様から書簡入りの贈り物が届きました。
鳥取市への出講だった6月30日。
姫路駅で在来線特急に乗り換えるためにホームに居たところに携帯電話のコール。発信者の氏名が妻ではないか。余程のことがない限り出先に電話を掛けることのない妻なので内心ドキッとしてしまう。駅構内のホームの雑踏の中で聞き取ったのが、大先輩の奥様から『お届け物』を受け取ったが、「お手紙入り」とのメモが付いているので「急ぎの要件」であれば、鳥取から帰るのを待って対応することは失礼だと妻が説明した。贈り物の開封と同時に書簡も一読するように指示をして、ホームに入ってきた特急電車に乗った。
ホテルに着いて詳細を聞き直した。転居のお知らせを葉書で確認され、即・震災見舞いを送ろうとお店に行かれたようだ。お店ではその時点での商品の発送は不可能だとの返答だったとのこと。今になってしまった遅いお見舞いを詫びる内容のお手紙であった。概要を妻から聞いて恐縮してしまった。お世話になったのは若輩の小生である。ご主人も他界されて20年以上は経っているというのにこのお心遣いである。現役時代には、指導主事であった奥様には多岐にわたりご指導ご指南を受けている。こちらの非礼と無礼の数々に頭が上がらないお相手である。
帰宅して直ぐにご自宅に電話する。
懐かしい声音と、親しみのある口調に緊張も綻び、ご指名でもあるので妻も電話口に出させていただいた。お声を拝聴する限りではお元気の様子で安堵もした。電話が切れて暫しの沈黙の時間は『人生訓』を得たように背筋が伸びた。先輩としての後輩への心遣い。戴いたカステラを賞味しながら考えた。大先輩ご夫妻に直に恩返しが出来るわけでもないが、「恩送り」ができるように、後輩教員へ愛情を注いでいこうと心新たにしている朝である。
今日から四国へ。出立時刻もいつもより早い。多くの後輩諸兄が待ち受ける高知市で「恩送り稼業」に専念してまいります。行ってきまぁ~す。ブログは日曜日まで休刊です。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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