~すっかり錆びてしまいました~
夏休みになった小学生2人の孫息子たちに「野球を教えて・・」と懇願(?)されまして・・。
お祖父ちゃんとしての「過去の実績(?)」がムズムズしまして、「いいよ」とばかりに勇んで庭に下りました。長年、ノックバットを振り回していた現職時代は「泣く子も黙る猛練習」を強いる監督として有名だった(本人だけのプライド??)お祖父ちゃんです。そんなことなど孫たちは知る由もありません。
使用球はゴムボールです。
言い訳になりますが、グローブを使わずキャッチボールをするのは実に難しいモノです。しかも、ゴムボールというのは弾きやすいので元・プロ(笑)にとっては新・試練となってしまいました。ビニール製のバットを使ってバッティングをします。打ち易く投げるのも困難です。打てないといじけるし、ちょっと当たると連続の要求として老体に疲労感を募らせます。
その間、部屋の中から見ている老妻は苦笑の連続だったようです。それは、元・プロ意識で孫に迫る愚かな老夫の言動だったのでしょう。「無理に決まっているでしょうに・・・」と、すぐに昇天する老父の熱中ぶりが可笑しかったのでしょう。
1時間ばかり戯れたばかりなのに、疲れがどどっと全身を襲いました(苦笑)。
しかしながら、幼少年時代には大きな夢と期待が錯綜するのが醍醐味だと実感しました。時はまさに高校野球の花盛り。聴いたことも無い茨城県下の高校のユニフォームを毎日画面で追いながら、この孫たちが数年後にはどんな活動を選択して青春を謳歌するのかと考えるだけで老化している暇がないとも思ってしまいます。これぞ、「祖父ちゃんバカ」の証でしょうか。
炎天下を避けて夕暮れの孫たちとの野球紛いの戯れです。しかし、筋肉痛につながると思うと老化を意識するのも、自己認識すべきことなのでしょう。「無理な頑張りで、転倒して骨折に繋がらないようにしてくださいね」と老妻の優しい(笑)言葉を忘れないように「孫との野球ごっこ」を楽しむように心がけましょう。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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