満月を愛でながら夏の夜空の「大三角形」とやらの星座を長男孫に教わったのが数日前のことだった。昨夜も、お祭りのお囃子太鼓に参加している孫を迎えに行った帰りに、自転車の後ろに乗っている3歳の孫が「あっ、お祖父ちゃん、お月様が追いかけて来るから急いで!」と自転車の速度アップを要求された。話題の主はその満月であった。都会では味わうことのなかった月夜の風情を実感した。
今朝はこの3日間で最も早く出発した早朝歩禅である。
昨夜のお月様がまだ西の空に君臨していた(写真)。今朝のコースはほぼ昨日と同じであるが、未知の「道」を探りながら鶴沼(通学路にある)を一周することにした。魚を釣っている人たちが多いのに驚いた。ジョギングする人たちとほぼ全員と挨拶することができることが、都会との大きなギャップであるとも実感した。コミュニケーションとは「交わす・交わる」意味が基であるならが、すれ違う人たち同士が「挨拶を交わす」ことは、生活の中の基礎基本ではないだろうか。挨拶をしようとする瞬間に「目線を外す」都会人とは大きなギャップを感じた。これこそが「嬉しい誤算」である。
そんな挨拶の交信から一日の生活が始まる。まさに至福の時間ではないか。自慢ではないが、今朝の挨拶交信で「知っている人」はゼロである。知人友人でも挨拶をまともに交わすことを避けるオトナ集団の人間関係からは、子供たちのコミュニケーション能力など育成できるわけがない。
たくさんの爽やかな挨拶を交わしながら帰宅した。
西の空に傾きつつある「お月様」にも、挨拶をすることにした。「いつもありがとう」と呟きながら両手を合わせる自分の姿に老いを感じた。しかし、これは避けることのできない現実である。
今夜は、また、一つ楽しい約束が待っている。
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