~「酪農家」はアーティスト!~
えっ、酪農家が芸術家だって?
神奈川県伊勢原市で酪農を営むという27歳の男性の語りに耳を傾けながら、その説得力に惹かれて一緒に考えてしまった。中でも、氏の表現を受けいると軽いジャブを数回喰らったような脳への刺激を感じてしまった。
作曲家・陶芸家・作家・画家・写真家・・と「~家」という言葉とその共通性を考えてみてください。この集団は『芸術家』じゃないですか!!その論理から言及すれば、私が従事している酪農は酪農家と言われ、農業に従事する人は農家と言われるわけですから酪農家も農家も列記とした『芸術家』であると、私は考えているんです。
氏の人生論と職業観はまだ続いた。
芸術家は「夢を紡ぎ、夢を売ります」「芸術家には作品が付き物です。その作品で夢を売るのです」。農家では農産物、酪農家では酪農製品とでも言い換えられますが、それを『作品』と置き換えます。
父や母が丹精込めて育てた乳牛から「牛乳」という産物を戴いて「アイスクリーム」という作品を産み出して、近隣の子供たちに届けたいのです。どこにもない「1つだけの作品」づくりに精魂を傾けることが親孝行につながり、ひいては地域に喜ばれる酪農家になれると信じています。都市化が今より進んで「牛を飼う」ことの立地条件が閉ざされようとする瞬間に、「牧場を無くさないで!」と地域から声がかかるような酪農家になるのが『夢』でもあります・・・・、
と続いて番組は終わった。
東北の酪農家の悲劇は、今日のラジオ番組とは全く違う次元で起きていることが哀しい。夢を抱いて先祖からの酪農を継承している青年たちの『夢』を強引にも奪い去った原点をしっかり考えねばなるまい。単なる自然現象だけで夢を断たれたのであれば激励も受け入れるだろうが、理不尽な状況下での営業を断たれた「酪農家」は、その憤懣をどこにぶつけたら良いのかもわからない。そんな現実とラジオとのギャップを埋めることもできずに悶々してしまった。
「爽やかな朝」の筈が、どんよりとした気分になってしまった。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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