2011/07/19

今度は『台風』ですか!?

 ~今日から「三日坊主」復活~
 読者の方から、「三日坊主の繰り返し」の意味が分かりません、とのメールが届いた。
 きっと真面目で正直な人生を過ごして来られた方だろうと判断した(=決して嫌味ではありませんぞ)。三日坊主は明らかにネガティブな表現であることは間違いではあるまい。当方も、幼い日々に周囲の大人から「三日坊主はダメだぞ」と忠告を数多く受けたことは事実である。そして、純真な少年は三日坊主になってしまう自分を責めたものだった。
 クラスメートのMくんという少年は、『毎日百字練習帳』(というノート名称だった??)という漢字練習帳を1年間、欠かすことなく続けた。そのことで彼は担任の先生の絶賛で最高の評価をもらった。羨望というより憧れに近い、いや尊敬の念が育ったことも記憶している。
 角田少年も凝りもせず挑戦の連続だったことも事実である。が、人生も黄昏時期に達した今でも「三日坊主」を打破した(成就した)ことは未だに無い。自慢にもならない話である。3日間続けて途絶え、そして気分を持ち直して今度は1週間が続いた。しかし、また途絶える。捲土重来の思いでまた挑む。そしてすぐに途切れる。また、挑む。そして途切れる。
 これを繰り返しながらの人生も気が付けば還暦もとっくに過ぎた。
 角田少年は、大学を卒業して「せんせい」になった。熱く語る「せんせい」であったが、「三日坊主になるな!」とだけは決して言えなかった。そこで、自分に言い聞かせるような説得口調でこう言った。

 先ず、三日間だけは続けようよ。それを社会では「三日坊主」と言うが、中断することだけを恐れずに挑んでみようよ。途切れたら気を取り直して、また二回目の「三日坊主」に挑戦してみたらどうだろうか。そして、またまた途切れたら、またまた、やり直してみれば良いさ。だから、目標だけはしっかり持っていないといけないぞ。

 このようなセリフを25歳ぐらいの若い教師は(自分に向かって)語った。その教室にいた生徒の中で何と「せんせい」になったのが3名もいると言う。少々面映ゆい。誇りではないがプレッシャーに感じる。なぜならば「三日坊主」を、寧ろ奨励したような最低の教師だったからである。
 そして、今朝、3日間で中断してしまった早朝歩禅を実践した。
 歩禅中の話題は、「今度は台風か」であった。地震に揺れ、津波の怖さを教えられ自然界の恐ろしさを痛感している被災地に今度は豪雨を伴った台風が襲来するらしい。堪ったもんじゃない!歩いている間にぽつぽつと小さな雨が降り出した。方向転換して30分余りで帰宅した。
 日本には、間もなく「なでしこ」台風がヨーロッパから上陸するようだ。女性軍団であるから、やっぱり台風か。女性の名前が昔は台風に付けられていたような記憶からのシャレでしかないが・・・。
 放射能と牛肉の問題も、保障となると「国なのか東電なのか」と責任所在の擦り合いが起きていると言うではないか。そんなことしていたら「大和撫子」も鬼面になって怒り出すぞ!大和撫子も時代の変化で鬼面撫子に変わることだってあるさ!!
 と、三日坊主推奨の爺が豪語することなどお門違いでありました(反省)。
 台風の進路に係る地域ではくれぐれもご注意願います。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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