~東京オリンピックとTV文化~
これは頗る私的な判断基準ですのでご容赦願います。
ところで、唐突な質問です!「読者の皆さんは、東京オリンピックが開催された時は何歳でしたか?」小生は大学2年生の20歳でした。前年の昭和38年3月に、高校卒業して上京して来ました。既に社会人となっていた次兄を頼って上京したのです。神奈川県高座郡寒川町。ここからテレビ文化が始まったのです。九州の故郷では、当時人気が高かったプロレス放映を見るためにはテレビのある家の庭に出向いて見せたもらったものでした。力道山というプロレスラーの空手チョップに興奮しました。大相撲も人気がありました。栃錦・若ノ花という両横綱の取り組みは、夕暮れの街路の交通を妨害するほどの聴衆が理容店の前に集まっていました。
そんな時代に、兄と一緒にアパート住まいを始めました。共同玄関・トイレ・炊事場の施設には不満等ありませんでした。兄は、せめて「自室にテレビを」と夜な夜な語っていました。しかし、上京して1年間はテレビとは無縁の生活でした。年が明けると「東京オリンピック観戦をテレビで・・」との宣伝が多くなりました。電車の中吊りにも目が行きました。6月のある日、兄が、「東京までテレビを買いに行くぞ」と弟に声を掛けました。わが耳を疑いつつ秋葉原という電気街に行きました。兄が賞与(=今はボーナス?)をもらったのでそれで購入に踏み切ったようです。
自室に小さなテレビが鎮座しました。室内アンテナとやらで見るテレビでしたので画像は不鮮明で長時間観ていたら視力に影響がありそうでしたが、兄に感謝しながら生活をしたものでした。そして、東京オリンピックもそのテレビの前で正座して観戦しました(笑)。
その日々から47年の歳月が流れました。
デジタルdigital という言葉はもう耳新しいものではなくなりました。この言葉から逆に、アナログanalog という言葉を呼び起こしました。デジカメという言葉は、独り歩きしていますがデジタル文化社会の水先案内人となっていたようです。
テレビ文化の新時代が幕開けです。
高齢者としての不安等どっかへ吹き飛ばされているようですが、関係各位の懇切丁寧な対応を懇願しています。本当にわからないことだらけなんです。以前にも当ブログでも記したように地デジ対応のテレビを購入すると付属品である必携のリモコンがあります。これ一つにもカルチャーショックを受けるんですよ。ホントに!(笑)そんな文化大革命に遭遇したことは幸せなんでしょうね。自分に言い聞かせながら7月24日を迎えている高齢者の戯言でございました。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
0 件のコメント:
コメントを投稿