2011/07/31

ラジオを聴きながら・・・(4)

 ~「旅の疲れ」の延長線上で~
 体内時計の「目覚まし時刻」は、3時40分になっている。
 今回の28~29日の広島遠征は、俗にいう「飛び込み要請」の学校訪問だった。小生のHP管理人さんにも伝えることも無く(「スケジュール追加」もせず)出講したので、幾つかの問い合わせがあり驚いてしまったが、ご迷惑をおかけしたことを反省している。
 昨日はその疲労感でぐったりしている老体を自らの感覚で捉えながら加齢の進捗を実感した。
 今朝はいつも通りに床から身体を起して、『腰湯』(=半身浴)のために追い炊きのスイッチを入れてパソコンを開けようとした瞬間(3:54)に大きな揺れが数十秒続き、老妻と共に「余震なのかね」と会話をしながら収まるのを身じろぎもせずに待った。ラジオは「緊急地震速報放送」の態勢になり緊張感を増幅させた。居住地は震度4だとの事実を放送から聞き取って改めての恐怖心が高まった、
 追い炊きの完了を伝える風呂場の音をキャッチしたものの、更に余震でも来ると湯船での身の置き場が無いのでしばらく待機してみた。「もう、良いね」と、自分に言い聞かせて浴室のラジオにスイッチを入れ1ヶ月に1度の「放送番組」(=五木寛之の『歌の旅人』)に聞き入った。氏の今日の「歌の旅」は、小生の故郷・熊本が旅先として氏の語りを聴くことが出来た。故郷の情景を浮かべながら氏の語る県民性を苦笑とともに聞き入った。懐かしい放言にも郷愁を感じつつも数回は目頭が熱くなった。
 氏の著書も書棚に沢山あるほどに大好きな作家の一人でもある。数年前に氏の講演を拝聴した光景も浮かんできた。90分間の講演時間を「短く」感じたほどの内容と、独特な人間的魅力を今でもはっきり思い出すほどである。
 浴室の窓を強い雨が叩きつける朝である。
 県南地方(居住地)に「大雨洪水警報」を告げる放送が、五木寛之氏の「語りの途中」で数回飛び込んできた。どうやら疲労度も完全に解消されつつあることを実感しながら浴室を出た。新潟県や福島県での水害のニュースを認知しつつ、自然災害の「今までに無い現状」を恨めしくも思えてきた。しかし、人間社会の欲求のままに自然環境を破壊し続けた「ツケ」が回ってきたのだろうか、と今後の展開が改めて怖くなっている朝でもある。
 今日は、午後日程で横浜市への出講である。そろそろ準備に取り掛かることにしようか!

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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