~「◎◎の日」の効用や、いかに?~
廊下に並んで必死に歯を磨く子ども達。
60年も前の事である。その中に少年時代の小生がありました。そんな光景が今は、あるのだろうか?当時は全国の児童が周知していた「◎◎の日」の一つであったことは事実ではなかろうか。あれも学校教育の成果であったとも言える。当事者意識はゼロに等しいものだったが、「歯の重要性」は年齢を加える毎に、その意識度は確かに高くなった。その頂点は90歳近くになった義父を歯科医に診てもらうために連れて行った時だった。痛がったり苦しがったりを表出しない義父が、一見しても腫れ上がっている頬を確認して、拒否する義父を(半ば強制しつつ)促して歯科医師の門を潜った時だった。
義父の「虫歯ゼロ」は親族では有名だったらしいが、老妻の認知度の進捗と並行したのか、看病疲れも手伝って歯のケアも手抜きになったのだろう。虫歯になってしまった状況下でも歯根は健存していたらしく「総入れ歯」の完成までかなりの日数を要した。出来上がって暫くするとその完成品も棺に入れる羽目になった。
医師が小生に向かって言われたのか。そのアドバイスは今となれば宝物である。血縁は無いが、義父の後継者は、この齢まで「虫歯ゼロ」の小生である。そして、小生の歯科衛生アドバイザーは妻である。妻は母親似で虫歯治療通院の専門家である。「予防への心がけ」についてはポイントを得て説明してくれる。納得しつつ従順に励行しているので、今のところ『80-20』(=80歳で健全な歯が20本)は達成できそうな予感がしている。
今では、妻のお勧めの歯間ブラシも旅の必需品となった。肩こりが歯痛に繋がるともご指導を戴いている(笑)。鈍感なのか、肩こりは殆ど感じたことも無い小生であるが、忠告を素直に受け止めて歯を大事にすることにしよう。
旅の疲れは確かに残っている朝である。
一気に疲れが抜ける年齢でもないが、休養時間を多めに取りながら、元気な歯と一緒に、もう一仕事できるような健康な老体を管理することにしますか、ね。
数日間のブログ休刊にて失礼しました。これからも時々休刊になりますがご了解ください。HPは閉店になりましたが、工夫をしながらこのブログで情報発信を致しますのでご愛読を、よろしくお願いいたします。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
0 件のコメント:
コメントを投稿