2012/11/05

旅を終えて

 
5日間も休刊いたしました。少々感覚の鈍さも感じながらキーボードを叩いています。記憶を弄るほどの時間を経ている訳でもないのに執筆思考回路が凍結してしまったような錯覚も覚えつつパソコンに向かっています。土浦では今朝も地震がありました。そして、暖房器も機能し始めました。昨年の今頃は「現住所」の感覚さえ疎く、鈍感さに振り回されていたことに苦笑を添えて思い出している朝です。皆さんの地方でも寒さを感じる朝になっているのではないでしょうか。風邪など引かぬようにお気を付けください。

~「2日間の公務」に感じる~

 10月30日に出発して11月4日の昼過ぎに帰宅しました。

私的なスケジュールを入れての移動もあったので思った程の疲労感もなく過ごせたのかも知れません。しかし、連続して5泊もするとなると老体には違和感が無いわけでもありません。

 公務としては、①10月31日:高知市立大津小学校②11月2日:広島市立庚午小学校での双方が終日の業務でした。初めての学校訪問と、7年間も通い続けている学校とでは、訪問の温度差は確かにありますが今回の両校には極端な心情温度差を感じなかったのも「疲れなかった」要因だったようです。

 ★異物でも呑み込む様な光景を呈するような初訪問校。

そんな学校も多い中で、今回は全く感じることも無く終日過ごした初訪問の学校での「我が心情」に驚きました。学校長自身の研究経緯に、茅ヶ崎市立浜之郷小学校の研究会参加が存在したこと自体には驚きは無かったのですが、浜之郷小学校の「研究への思い」が言及されると、特に関わりが深かった小生としては聞き捨てることも出来ない程に親近感を抱いてしまいました。正に、こちらも個人的な感情表出で時間があっという間に過ぎたのでしょう。それは、単なる回想を超え、10年も前の実践が遠く四国の当地で息づいていることへの感傷でもありました。同時に、必死に取り組んだ浜之郷小学校の初代校長はじめ教職員の懸命な姿勢が、種となって高知市まで飛んできているのだと感動が先行したのです。暫く対話から遠ざかっていた初代校長の奥様にまで電話をしてしまうほどの言動に繋がりました。

 ★研究協議会の「持ち方=展開法」へ言及できる。

 退職後の稼業としている「研究への指導助言」者としては、これが生命線なのです。授業の評価や指導は個人的なモノでそんなに苦になることではありませんが、学校全体として設定される協議会への箴言は、その学校自体に根付いている歴史もあるので気遣いには大きなエネルギーを必要とします。その協議会の本流を発見するのに時間が必要なのです。ホンの数回の訪問で発見できる学校もあれば、なかなか本質が掴めない学校もあり、『疲労度』の格差は筆舌し難い程です。

 ズバリ直言!!直球勝負の性格であればある程、それが危険球にもなってしまうことも考えている内に機会を逸してしまう訪問校も少なくありません。放言の後始末で校長さんに苦労を掛けないようにとの気遣いもあるのです。しかし、今回は言及できました。潮時と直感したからです。

 今回の講演旅行も、「こんな重い」感情と共に出向きました。今回の結果は次回の訪問で判明します。心して次回に備えたいと覚悟しています(笑)。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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