2012/11/07

距離の遠近と所要時間

「小田原駅」までは遠かった!!

 文明の利器がもたらすギャップを感じつつ帰宅した。

 9時前の小田原駅始発・東海道線の電車が東京駅に着くのは10時半前だった。およそ90分の車中は昨日の歩禅記に記したとおりに間違いは無かった。東京駅から上野駅まで乗り継いで11時前の常磐線に乗って降車駅に到着が正午過ぎである。1時間半までは要しない。しかし、この所要時間を新幹線を使って東京駅を発てば「新大阪駅」に到達する計算となる。距離と時間と所要時間の三角関係は小学校の算数で苦労したが、理屈を述べる要素にもなっているのが滑稽ではないか。

 距離と時間と所要時間で算出できるのは、心情的なデータは疲労度かも知れない。しかし、言及すると同じ計算で算出しても、この心情的疲労データ度には、更に2種類があるようだ。それは同じ行程の往路と復路の差である。これぞ、まさしく物理的な疲労度に複雑な要素が含まれることになることは誰にも察しが付くことではないだろうか。

今朝、宿泊先のホテルから小田原駅に着いて写真を撮った。小田原城と駅ビルである。周囲の風景が変わると小田原城もこんなに変わって見えるのかと不思議だった。高校生と格闘した日々の光景には、いつも小田原城があった。立派になった駅ビルの橋上から見る小田原城の風景は、しかし、「やっぱり懐かしい」ものだった。

 昨夜のような時間設定の講演は殆ど無い。

 文科省からの指定研究(本年度より2年間=「魅力ある学校づくり」)の一環として「地域・保護者を巻き込んだ研究」としての講演会だった。いただいたテーマを分析して3本の柱を立ててレジュメを創って臨んだ。関東一円は朝から豪雨に見舞われた荒天で主催者も集客に気を揉まれた事だろうが、小生が小田原駅に着いた5時過ぎにはすっかり上がっていた。

 講演は「聴講者の分別」ないとやり難い。不特定多数、たとえば地域住民であったり一般市民等、と年齢にも幅があると焦点ボケになり説得力にも欠けるからである。演題が「思春期における・・・・」とあれば、小学生以下の子どもを持つ若い層の保護者は少なくなる。元・小学校の校長とすれば「我が子が小学生である」日々に今回のような話題提供しながらの講演を聞くべきだと思うのだが、やっぱり現実は危惧だけで終わったようだ。小学校長時代に校長塾(月例)を創設し、任期期間中「親育ち」を支援する講座として30回近く開講したのも、そんな危惧を追い払いたかったからである。無責任にも成果や効果は全く関知していない。

 「~になってからでは遅い」は、一つの我が人生哲学である。思春期に差し掛かった我が子に遭遇(笑)すると狼狽する。つまり、「なってからでは遅い」のである。昨夜の講演は「夜間教室」の雰囲気があり集中できたようだ。真剣にメモを取る鉛筆の音が聞こえた。ホンの少しでも役に立った話であったことを願うばかりである。

 各駅停車の車窓を眺めながら遠い小田原から自宅まで座ったままだと腰が痛い。これも遠距離の疲労度を増す要因の様である。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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