~最後の「晴れ着」にまで到達~
38歳になる長男が誕生した折に、義母(長男にとっては祖母)が丹精込めて「お宮参り」の初着(=産着)を縫ってくれた。呉服屋さんまで義母を連れて行った小生が着物柄の見立てである。小生にとっても第三子目に誕生した男児だったことと、妻は一人っ子で育っているので義父にとっては「血縁の男子」は初めてであったことが宮参りの準備から肝煎り状態だったのだろう。
ところが長男は病弱で5歳のお祝いの「ひもとき」(九州では七五三のお祝いをこう表現)が祖父母や両親の思いに反して出来ない状況であった。義母は諦めきれずに着物に仕立てて晴れ着として保存してくれていた。26年間のブランクの後に、長男には三人の息子たちが誕生した。父親が着ることができなかった晴れ着を三人が着られるように成長してくれた。三人とも5歳の七五三の晴れ着は曾祖母の手作りを身に纏うことができた。その最終回が今日であった。
嫁から今日の日程を聞いた老妻は、和箪笥から1週間前に出して皺がとれるようにと干していた。この図柄を見る旅に「日本文化の重さ」を痛感していた。38年前に作ってもらった着物を今日も着ることが出来る。物を大切に使うという文化の重さを感じるのである。この最終日までの間には、長女の子ども(男児)もこの晴れ着で七五三の祝いをやってもらっている。4人の曾孫に着られた「晴れ着」も果報者である。
九州流に表現される「ひもとき」の意味もわかるような気がしてきた。産着のひもを解いて正規の着物に変えて着るという「成長の証し」のお祝いであることをこの歳になって知ることになった(恥)。
通常は浜松で仕事をしたら一泊するのであるが、昨夜はこの日のために直帰した祖父ちゃんである。末弟のお祝いに神社まで同行した二人の兄たちにも「お前たちもこの晴れ着を着たんだぞ」と父親が語りかけていたが、記憶は無いらしい。そんなモンだろう。しかし、38年前の義母の力作が今も息づいていることが何とも嬉しい孫の七五三のお祝いだった。神社の帰路、長男の運転するワゴン車が祖父母の眠る墓地へと向かうのに気が付いた。座って暫く拝んでいた長男は祖父母に感謝の意でも伝えたのだろう。改めて問い質すことでもなさそうだが、小生の直観は正解だろう。
九州の方は雨らしい。間もなくやってくる雨に降られずに済んでホッとしている。チョッとだけの午睡の時間にしようか!
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