自らの偏見に恥じ入る。現職教員生活37年間は何だったのか?
『定時制高校の現場』に触れた回数は片手の指でも数えられるほど無縁だった。自らが認知しつつ、根拠のない無気力な授業風景しか空想しなかった今日までの生き様を完全に断ち切られてしまった。このブログでは生の画像や映像などお見せすることはできないが、「観て貰いたい」と切望する授業と出会った。
上野駅発の終電には間に合ったが、帰宅は午前0時を回っていた。
学校関係者や市教委関係者の配意で京急久里浜駅を21:08発の特快電車に乗ることができた。今回の研究会は二部構成で「定時制課程」部門があり夜の9時近くまでの日程だった。この時刻の電車に乗れたことから関係者の気遣いがお分かり頂けるだろう。品川駅で乗り換えて上野駅で更に乗り換える行程で上野駅に着いた。常磐線の発着ホームから特急電車が出る姿を見送る羽目になり深夜の帰宅になってしまった。このようなスケジュールには筆舌し難い疲労感が残る筈である。
しかし、疲労度ゼロ。
1分遅れで発ち去る特急電車を見送る設定条件で考えても愕然とした思いでは疲労感は倍増するに決まっている。しかし、疲労感は皆無。妙に老体が軽い。小生の脳裏には、信じ難い光景の残像があまりに鮮明に生きていたからである。
学習者が授業を創る。
学習者の姿勢が教員に自信と勇気を与える。
高校生という成長した学習集団ならそれが出来る。
授業が学校を創る!!
そんな仮説めいた発想が老脳を刺激していたからである。上野駅の中央改札を通った正面の空間は、都内の駅とは思えないほどの高い天井と広いスペースである。精神状態が悪いと空虚感すら与える。そんな空間で立ち竦んでは疲労度が高くなるだろうに、昨夜はとっくに眠っている時刻にも関わらず凛とした気丈さだった。明らかな興奮状態であった。
学習者の姿勢が教員に自信と勇気を与える。
高校生という成長した学習集団ならそれが出来る。
授業が学校を創る!!
そんな仮説めいた発想が老脳を刺激していたからである。上野駅の中央改札を通った正面の空間は、都内の駅とは思えないほどの高い天井と広いスペースである。精神状態が悪いと空虚感すら与える。そんな空間で立ち竦んでは疲労度が高くなるだろうに、昨夜はとっくに眠っている時刻にも関わらず凛とした気丈さだった。明らかな興奮状態であった。
ポケットにはカメラを入れておいた筈なのに、授業観察に夢中になってしまったようだ。学校案内のパンフレットを登載して学校の環境だけをお届けしよう。
0 件のコメント:
コメントを投稿