2012/11/14

授業が学校を創る(1)

 ~「定時制高校に入学した生徒」を思い出して~

 自らの偏見に恥じ入る。現職教員生活37年間は何だったのか?

 『定時制高校の現場』に触れた回数は片手の指でも数えられるほど無縁だった。自らが認知しつつ、根拠のない無気力な授業風景しか空想しなかった今日までの生き様を完全に断ち切られてしまった。このブログでは生の画像や映像などお見せすることはできないが、「観て貰いたい」と切望する授業と出会った。

 上野駅発の終電には間に合ったが、帰宅は午前0時を回っていた。

 学校関係者や市教委関係者の配意で京急久里浜駅を21:08発の特快電車に乗ることができた。今回の研究会は二部構成で「定時制課程」部門があり夜の9時近くまでの日程だった。この時刻の電車に乗れたことから関係者の気遣いがお分かり頂けるだろう。品川駅で乗り換えて上野駅で更に乗り換える行程で上野駅に着いた。常磐線の発着ホームから特急電車が出る姿を見送る羽目になり深夜の帰宅になってしまった。このようなスケジュールには筆舌し難い疲労感が残る筈である。

 しかし、疲労度ゼロ。

1分遅れで発ち去る特急電車を見送る設定条件で考えても愕然とした思いでは疲労感は倍増するに決まっている。しかし、疲労感は皆無。妙に老体が軽い。小生の脳裏には、信じ難い光景の残像があまりに鮮明に生きていたからである。

学習者が授業を創る。
学習者の姿勢が教員に自信と勇気を与える。
高校生という成長した学習集団ならそれが出来る。
授業が学校を創る!!
そんな仮説めいた発想が老脳を刺激していたからである。上野駅の中央改札を通った正面の空間は、都内の駅とは思えないほどの高い天井と広いスペースである。精神状態が悪いと空虚感すら与える。そんな空間で立ち竦んでは疲労度が高くなるだろうに、昨夜はとっくに眠っている時刻にも関わらず凛とした気丈さだった。明らかな興奮状態であった。

ポケットにはカメラを入れておいた筈なのに、授業観察に夢中になってしまったようだ。学校案内のパンフレットを登載して学校の環境だけをお届けしよう。

今朝は第一報として「老脳の珍現象」(笑)だけを紹介して、午後から始まった研究会の授業観察等の詳細は次回にしましょう。





 
【歩禅の記録】
11月14日 9:30~11:00 8700歩
義父の5回目の命日です。早朝歩禅を断ってから暫く不規則な歩禅になり、時を同じくして仕事の連続で歩禅リズムに狂いが生じました。「義父の命日」で立ち直りそうな気配です。お墓参りの道端(畑)に菊の花が「わが世の春」と咲き誇っていました。これから、午睡の時間をとります。
12:05

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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