テレビや映画の画面でしかお会いできない人種。それが俳優さん言う。うっとりと容姿を見詰めるタイプから、容姿そのものより話術に引き込まれどんな役柄を演じても見たくなるタイプ、更に特殊な魅力を感じることは無いのに何故か魅かれるタイプ等々に分かれるのが俳優さんだろうか。
先日、女優・森光子さんが92歳で他界された。小生は若い頃、「時間ですよ」というTV番組に惹き付けられたことを思い出した。ユーモアのセンスが美貌とアンバランスだったことが印象強かった。
小生はファンになった。代表作品となった舞台劇も、「一度は観てみたい」の願望だけで現実化出来なかった。舞台劇をテレビで観るだけで満足した。数々の受賞の知らせにも「ファンになった基準」を誇らしくも思った。森光子という女優さんのファン気質の最大の基準は、「第一線での活躍が40歳を超えていた」という唯1点だった。その時点から40年間以上を『人生のひのき舞台』にして大活躍されたことが、小生には堪えられぬほどの「励み」になったことは第二基準である。
若くして陽の目を見てスターダムとやらを闊歩する芸能人やスポーツ選手にはファン気質に「ふあん(=不安)」が付加されて危なっかしくて見ておれない。夢のような世界に誘われたい気分になれないからである。その人の一生の後半に、他よりかなり遅れて開花した人生には過去の苦労と忍耐が自然の流れとして「演技やプレー」に表出するのだろうと考える。鑑賞や観戦に安心感が伴う。
森光子・追悼番組を鑑賞しながら、人生後半の華やかな活躍の裏側に「一人の女性としての人生」には他言することを憚るような哀しい生き様があったことも知った。個人情報を細かに知ることは好みとしない。しかし俳優業にはこんな付帯状況も報道されるらしい。有名であればある程に他界後も「今だから言える」報道が後を絶たない。そろそろいい加減にして欲しいとの思いが立ち上がる。これも『ファン気質』そのものなんだろうなぁ。ご冥福を祈るばかりである。
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