~「教育展望」(教育調査研究所・発行)~
小生を「教員の育成」に関与するキッカケを与えてくれたのがこの月刊誌であった。主宰する『響の会』創設する心を擽って、誘った「教育展望セミナー」を紹介してくれたのがこの月刊誌であった。小生の記憶から消え去ることはない。平成5(1993)年の夏、参加希望をした指導主事と二人で出向いたのがこのセミナーであった。井の中の蛙が「大海」に漕ぎ出してビックリした。参加者の多さと会場の熱気に圧倒され興奮状態で帰還したことも記憶の中に燦然と光っている。当時、随行した指導主事も2年前に校長を退職していることを考えただけでも「時間の流れ」(=ちいさな歴史)を痛感する。
小生がお世話になった茅ヶ崎市は地方都市とは言え、人口20万前後を推移しながらも微増を続けている都市であった。東京駅まで電車で60分で到着できる利便性に恵まれている。
中学校の教員から市教委への出向を命じられて数年を経て「学校訪問」という主要業務に慣れて来た一介の指導主事の目に、ある現象が炙りだされた。それは、東京まで1時間で行ける便利な環境に居ながら、自らの足を使って中央部で実施されている各種研修会に出席して「自己研鑽」を図る教員が殆どいないことがわかったのである。
無理強いが通じないのであれば、勤務地の茅ヶ崎市を会場にして研修会を創設すれば教員も参加しやすいのではないかと考えた。そんな安易な考えが熱意となって周囲の関係者を担ぐことになった。この紙面では創設までの経緯について詳細は述べられないが、地元実施の手作りの「教員研修の場」を創設したのが平成8(1996)年の夏である。新人校長として着任した夏であった。若気の至り?無謀と思える52歳の冒険であった。
創設した茅ヶ崎セミナーに、登壇して欲しい講師の先生方もこの月刊誌に名を連ねておられる当代一流の先生方にお願いした。それについては出版元から派遣される一人の営業マンの尽力は侮れなかった。主宰する教育実践『響の会』(発足当時とは改称している)のスタートへの尽力で忘れることが出来ない人物が多田二朗氏(当時・神奈川県湘南地区を中心に営業活動)である。今、考えればかなり無理難題を吹っかけてしまったようだが、殆ど満願であった。氏のご尽力無くしては現在の『響の会』(通称)の存続は無い。氏の会社内での活躍ぶりは表現するまでも無い。小生も現役を退いて間もなく10年が経つ。業界の情報の疎くなってしまった、しかし、氏の会社の要人としてご活躍の様子を若い世代の営業担当者から情報を得て知っている。嬉しい限りである。
主宰する『響の会』も昨年15周年を迎えることが出来た。会の冒頭の挨拶で区切りの良い所で終回宣言をするつもりで登壇した。熱心に聴講する教員の眼差しに向かってその言葉を発することが出来なかった。結果的にはズルズルと延長しそうで怖い気がしないでもない。ただ、幸か不幸か、未だ高知市から広島市へと「移動日」を設けて4泊5日の出講の旅を果たすことが出来るエネルギーはあるようだ。
後輩教員に「学ぶ」機会を与え続けることが、恩人である多田二朗氏への恩返しの真似事になるのであれば、自らに気力と意欲があり体力も耐えうるようであれば続けることを宣言すべきかもしれない。
一冊の愛読月刊誌にも、こんな歴史があることをお伝えしておこう。
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