~高校時代の友人宅は『本屋さん』だった~
ノスタルジアを思郷病(=故郷を懐かしみ恋しがること。郷愁)と訳すそうだ。昨日(11月8日)の朝刊(地方版)の記事に目が飛びついた。「ただでさえここ数年、売り上げは下がりっぱなしなのに・・・」とのコメントを発した「本屋」経営者の記事が妙に心を抉った。高校時代の友人のお父さんの声が聞こえて来たような気分になった。友人の家は『本屋さん』だったのである。
通学していた高校から友人の家までは歩いて10分は掛からなかった。市内本町にあったアーケード通りの外れではあったが市内でも3指に数えられる「憧れの本屋」であった。時には「勉強する」という名目で泊まらせてもいただいた。夜中の本屋さんの中央に立つとリッチな気分になったものだった。夕食のテーブルで店主である友人のお父さんは、「これからの時代は本屋では喰ってはいけない」との理由で息子には東京の大学を出て都会で生活することを勧めているとのことだった。「父親の話」をこうして聞いたことが無かったので未だに印象に残っている。
埼玉県に居を構えた友人は故郷の親を引き取ったと、ずっと経ってからの情報を得た。あの本屋さんのその後は関知していない。二階の自宅にお邪魔するのに、開業中の本屋の中を通り抜ける瞬間の「本の匂い」に憧れが執着した。貧乏人の子倅にとって、数冊の私物の本を所有(笑)することだって大きな文化だった。何百冊と並ぶ「見たことも無い」本の並ぶ光景は忘れ難いのは自然なのかも知れない。
当地に引っ越して何が寂しいか?!
それは駅前に本屋さんがないことである。新聞記事にある買い物客の主婦のコメントに同感である。立ち読みを主眼にしている訳ではないこともわかる。常磐線は1時間に2本の上下の電車が走るだけである(これへの不満はゼロ)。だからこそ、その間の「つなぎ」に駅前書店は相応しいと執着する。隣接するつくば市に向かって行く途中に大型スーパーの3階にチェーン店の本屋さんがあるだけで自宅からは、車で15分も掛かる距離である。
利益追求の経済社会だから倒産する本屋さんが多くなっている現状も十分理解できる。小生ですらも、最近はネット書店で本を注文している。これはこれで「購入目的が確立している書籍」の即時注文と即刻配達は重宝なシステムで有難い。しかし、やっぱり「本屋さん」の佇まいは欲しい。これがノスタルジアなんだ!!
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