『社会人』と『会社人』
漢字を1個だけ位置をずらせて出来た熟語でも、こんなに違ってしまう。先日手にした月刊愛読誌(当ブログで紹介済み)の11月号に次のような記事が登載されていました。
こんな記事に触れると、小生は直ぐに自らに置き換えて考えてしまいます。時には造語を考えます。そして、その理由づけまでして楽しみます。そのホンの一例が「教員採用試験」と「教師採用試験」です。前者は存在しますが、後者は架空の造語となります。それに、無理な添付理由を考えるのです。
そんなきっかけが、以下のような記事に遭遇した時なのです。読者の皆さんも暫し、この記事と対峙してみてください。
・・・・・・(前・略)・・・・・
アメリカのアイゼンハワー大統領が1953年に唱えた「原子力の平和利用」によって、世論は「原子力」に好意的なイメージを持っていました。私自身も、石油や石炭は近い将来なくなってしまうという意識があったので、これからは原子力の時代が始まるのだろうと思っていました。だから、科学技術の最先端に携われる、という期待感すら抱いていたんです。
しかし、年月が経つにつれ、私は「社会人」ではなく、「会社人」になっていました。「社会人」とは、自分と社会の関係性を持ち、行動できる人のこと。一方、会社の言うことにきちんと従って、少しずつ出世し、社長を目指すというのが「会社人」。だから。“会社のため”なら、なんだってしてしまう。「利益」さえ大きければ、倫理や道徳は見て見ぬ振りをする。私はいつの間にかそのような人間になっていました。
私か、福島第一原発4号機用の原子炉圧力容器の違法な「ゆがみ修正作業」に携わったのは、1974年、夏のことでした。もう少しで完成という製造最終段階で、原子炉圧力容器が大きくゆがんでしまったのです。私は、その直前に人事異動があって再び火力発電所の設計部に戻っていましたが、突然上司から原子力設計部に手伝いに行くよう指示され、初めてその事実を聞かされました。そして、急濾、その数ヵ月前まで私がグループリーダーをしていた部署に戻って、どうすればゆがみを修正できるかを考えることになったのです。
ゆがんでいるならば、その形を正せばいいと思うかもしれませんが、そんな単純なことではありません。原子炉圧力容器というのは、ウラン燃料が核分裂を起こす容器で、高い圧力に耐えるための鋼の強度がとても重要です。鋼を無理に曲げればその部分の強度が落ちる上、鋼の性質として、瞬間的にパリンと割れてしまう可能性もあります。だからこそ、設計技術者は細かい強度計算をし、製造技術者は細心の注意を払って製造に当たらなければならないのです。
しかし、このときは強度など関係なくどんなことをしてでも、ゆがみを直さなければいけなかった。原子炉を造るためには二年半の歳月と、いまの貨幣価値で言えば何百億円という莫大な費用がかかっています。そうやって造られてきた原子炉圧力容器ですから、なんとしても電力会社にも国にも安全だと認めてもらわないと、会社はつぶれてしまいます。 結局、圧力容器は秘密裏に、高温の炉の中で強引にゆがみが修正され、まるで何事もなかったかのように東京電力に納められました。普通の「社会人」なら、やってはいけないことだとすぐ分かっても、「会社人」だった私はもはやそれがわからなくなっていた。「会社のピンチを私か救えるかもしれない」とさえ思っていたのでしょう。修正が無事に終わると、会社から評価され、賞状や褒賞を頂きました。自分がいかに恐ろしいことをしたかなんて考えることもなく、むしろ「会社を救った」「良いことをした」と得意顔になっていたように思います。
・・・・・・(後・略)・・・・・
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