2012/11/13

名刺の『肩書』

 ~名刺に表出しない人生の経緯~

 講演会場で司会者が紹介する小生の横顔に毎回苦笑してしまう。

 「講演活動でご活躍中です」の表現には毎回の赤面で、耳にもタコが出来てしまったようだ(笑)。控室では主催者の方に挨拶代りに名刺を交換させてもらうことも多い。名刺にある文字(=現在の職位等)をじっくりと読み取ることは無いが、当方の興味は、現職までの人生の経緯を知りたいことに集中する。雑談の中で少々は満足できるが、多くはその程度でその後の追及機会も無い。しかし、退職後の自らには良い刺激を貰える素晴らしい時間であることには間違いない。

 今日は9月に事前訪問した横須賀市立横須賀総合高校への本番・出講である。現代高校生気質への「先入観」の間違いを指摘された授業風景を思い出している。二度目の訪問には「高校教員対象の指導講話」が課せられている。依頼の原点が面白い。「名刺には表出していない経歴」、つまり、以前に「高校の教員だった」という小生の人生の僅かな経験が今日を演出しているのだから「人生の経緯」も侮れないと言うのだろうか。

 23歳で教壇に立った。そこが高等学校だった。しかも、僅かに3年間だけ。指導・講話』をする講師人材としては間違った人選である。つまり小生は不適格者と言うべきであろう。

 講師をお引き受けした張本人が、当日になって今更何を言うのか。自問すると先述したところに答えが隠れている。決して泣き言を言っているのではないことだけは読者諸兄にはご理解いただきたい。今日も、今日の会場に一歩足を踏み入れた瞬間の直感で話題を展開しようとは考えている。「私には3年間しか高校教員の経験しかないので皆さんにお話できるようなこともありませんが・・・」という類の切り出しだけは決してしない。なぜならば、「だったら、こんな所に来るなよ。」と言われても返し様がないからである。きっと、小生の方が沢山の学びを得て帰って来るに違いないからである。

 そんなことを考えている内に当日になってしまった!!行ってまいります(笑)。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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