~街角の『小さな学びの場』の指導者に・・・~
街角の『小さな学びの場』とは、公文式の教場をイメージした小生の勝手なネーミングである。公文式関係者との関わりが深くなりつつあった時、校長室で考え付いたネーミングであり、他言は殆どない。自惚れしている名称である。勝手ながら副題に使用したことをお断りしておこう。
同じ「音」(呼び名=「せんせい」)で呼ばれているので同業者と言っても間違いではない。それが今日の講演の対象者象であった。小生は日本公文教育研究会(=通称・くもん)と5年間(2006~2011)の顧問という肩書で講演活動をしたことがある。当地もその大任を背負って訪問した地であった。前回の訪問でも「創設者・魂」を強烈に感じた地であったので、久しぶりの今回の要請にも「胸の高鳴り」を感じての訪問でもあった。公文式(と呼ばれている学習方法)の創設者である公文公(=くもんとおる)氏の教育理念が末端の教場(=街角の『小さな学びの場』の指導者)に浸透していることに感服した点が多かった。そして、今回もその思いが蘇った。
最初の仰天は、創設者の『自主研修』への勧めであった。「せんせい」の自己研鑽意欲は、小生が属した学校教員集団とはその格差に大きな開きを知った。知れば知る程に打ちのめされた思いになった。官制研修だけを自己研修として考え、時には校務の多忙さを理由にして回避しながらも「強制研修」だと非難もした。自主研修として参加費も自前にして「学び」を深める教員の少なさには開いた口が塞がらないほどである。
今回の出講は、『自主研修講座』への要請であった。参加者の経費負担が明らかにされている講座である。創設者の理念の筆頭に、「学習する子どもより指導者の方が多く勉強するべし」の精神が50年も経た今でも、確かに息づいていることを確認することが出来た。「意気に感じる」性分の小生は、熱弁(笑)を揮ってしまった。
会社主催の研修講座ではないとの事前情報は得ていた。(教育)公務員生活だけの小生には会社組織の内情までは理解できていない。「自主研修講座」でも、謝金は会社から支払われるとの説明を局長から聴きながら、「講師の交通費等」は当事者である自主研究グループが支払うことになっているとの説明が追加された。
教員生活時代の自らを通して、研修への「いい加減さ」を痛感した。教員の自主研修講座なるモノに行政の財政的支援は無い。民間教育産業界との違いを思いつつ演題に立った。参加費(名称は知る由もない)から、小生の交通費と昼食代を捻出するシステムだろうか。久しぶりの登壇でも視線の熱さは変わっていない。心地よい視線でもある。当然ながら「居眠り」の聴講者はゼロである。講師の拙い話からも懸命にメモを取る音も耳に届いた。自主研修の重要性を説かれた創設者の思いが、この会場でも確かに根付いていた。
小生が主宰する会『響の会』は、参加者が負担する参加費で会を運営している。会費制を貫いているが、お陰様で17年間も継続できている。「懐を痛める」という表現がある。全てが税金で賄われている公務員の懐は、自ら傷めずして研修も受講できる。当然ながら立派な教員も多いので、それだけでは満足することなく「懐と相談しつつ」自主研修に参加する教員も多い。
ここの指導者には死活問題という一面もあるが、差し引いてもお釣りが多いのではないだろうか。そして、本を紹介するとメモを取って手に入れる。読後感も郵送して来る。創設者の魂が現存している証しである。
10時半から2時半まで昼食時間も含めて熱心な聴講者に囲まれて、のども乾いた(笑)。帰路の西武電車はあっという間に池袋に着いた(熟睡だった?)。3時半の上野駅発の特急電車に乗って、買い込んだ缶ビールで喉を潤して、再びの微睡であった。爽やかな疲労感を提供していただいた所沢事務局の局長始め局員各位と自主研究グループの代表の方々と聴講いただいた指導者の皆さんに謝意をそえて講演日記を閉じることにしよう。
附記: 所沢駅が3年前とは全く違って面喰いました。「えきなか」も完成していて見違えてしまいまし。前泊するホテルも以前に数回宿泊しているので道順も熟知していたのに、出口(西口)の様子が一変していたために、本来の「方向音痴」に拍車がかかり、5分しか掛からない距離を20分も彷徨ってしまいました(涙)。
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