2012/11/26

郷に入っては郷に従う

 ~全く無知な闖入者として~

 人生楽ありゃ苦もあるさ

歌詞とメロディでお馴染みの映画やTVドラマとして有名な時代劇『水戸黄門』のご当地に転居して1年半が過ぎている。去る23日(金)、長女宅(千葉県佐倉市)に向かう2時間の運転中に休憩も兼ねて途中でコンビニに立ち寄った。同行した5歳の孫が「おじいちゃん、助さんと格さんがあるよ」と単行本を指さした。表紙の絵を見たからであろう。コンビニと単行本の組み合わせがピンと来なかったがその本を何気なく手に取ってみた。孫が口ずさむ、聴き慣れていたメロディにつられて購入してしまった。

 運転手だったので読むことは出来なかったが、長女宅に着いて子守りをする手筈が外れて(勝手に孫同士が遊び始めて)、手持無沙汰になった爺は、コンビニで買った単行本を思い出して取り出した。小生の読み癖は、「読みたくなるような目次」が目に入ったらそこから読み始めるのである。「水戸黄門」の助さん・格さんは実在した?の歴史問答の文字が最初に目に飛び込んできた。

 その後は、孫たちの遊びの喧騒は老脳が拒否してくれたのか、次々と異なる目次をめくり返しながら読んでいる内に2時間余りの時空を飛び越えていた。「お祖父ちゃん、そんなに面白いの?」と、5年生の娘孫の声で読書は遮断され喧騒の中に引き摺り込まれてしまった。

 水戸納豆の由来も、平将門の乱も徳川御三家「水戸藩」の歴史上のことも上辺の「知識」だけは保有していたが、『あなたの知らない茨城県の歴史』(洋泉社)のタイトル通りに「知らない」事象の多さに圧倒されて読破してしまった(笑)。

 Q:70 「研究学園都市」が筑波にできたのはなぜ?

 その答えを読みながら、38歳の生意気な一人の中学校英語教員が変身した「あなたの知らない角田明の歴史」が、その研究学園都市にあったことに感動した。当地(土浦市・土浦駅)で下車して国立教育会館・筑波分館(=当時の名称)行きのバスに乗り込んだ頃までは反抗的な思考回路の中に棲んでいたことも、今では素直に反省することが出来る。なぜならば、当館での(1か月の)研修期間内で「激変して」生徒の前に戻ることが出来たからである。その後の教員人生はこの地での研修を語らずして表現が出来ないのである。「歴史」の追究はやっぱり侮れない。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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