2012/11/06

「小田原駅」の思い出

 ~50年前を懐古して~

 午後6時半からの「しごと」のために今日は午後から出勤です。当地から東京まで90分、東京から目的地まで90分のミニトリップを予定しています。出向先は神奈川県小田原市です。新幹線口の待合指定場所に午後5時半に到着することで日程が始まります。

 小田原駅も50年間を経てその変化は筆舌し難いモノがあります。

 高校を卒業したばかりの18歳の青年が、九州からボストンバック1つで上京して25時間も掛かって乗って来た急行列車から降りた「駅」が小田原駅なのです。大学を卒業した23歳の青年が、社会人としての「第一歩」を踏み出したのも、同じく小田原市でした。

 茅ヶ崎市に住んでいた48年間は、新幹線の乗降駅は小田原駅でした。繁忙な時期は毎日のように小田原駅を利用していました。頻繁な活用には鈍感性が生まれます。だから懐古の思いなど皆無となってしまっていました。

 ところが、今日は一昨年に転居した茨城県から「小田原駅」に向かうのです。1時間も掛からなかった所から、今日は3時間も掛けて「小田原駅」に向かうのです。転居してからは一度も「小田原駅」での乗降はしていません。東京駅から利用する往復の新幹線は「小田原駅」を通過しています。

 そんなセンチメンタルな思いを抱いて「里帰り」となります。

 出向先の地名を聞いても、学校名を聞いても「わかる」ほど忘れ得ぬ当地なのです。保護者を対象にした講座に出向です。小田原の高校で教えた生徒は、もうこの学校に通う生徒の「お祖母ちゃん」だそうです。学校から配られたチラシ(案内版)を見て反応がありました。

 やっぱり、あの時代は懐古の世界になってしまっても仕方が無いですかね。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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