~地域によって異なる季節感~
未だ訪れることなくこの年齢まで達してしまいました。それが京都の祇園祭です。
京都から今年も、手描きの素敵な「祇園祭」の絵と共にお葉書が届きました(上掲)。全国の皆さんにも、「これが終わると」〇〇になります、とか〇〇がやって来ますという風に季節感を伴う行事や出来事があることでしょう。
それが「少年の日の思い出」に繋がり、季節感という「旬」を認識できる重要な「日本の素晴らしさ」に到達できるのではないでしょうか。氏からいただく「絵入り」葉書は我が家の家宝です。着物(友禅)に絵を描かれるお仕事(絵師というプロフェッショナル)とは言え、この葉書一枚の絵を描かれるにもかなりの時間が掛かっていることでしょう。
最近はパソコンソフトを利して(手抜き)の「通信物」に頼っている小生は、戴いた瞬間は「手書きでお便りを」と自意識が高くなるのですが、次の瞬間には・・・・。恥ずかしい限りです。
四国の善通寺市に住む友人から届くのは全て「手書きの葉書」です。
そして、手書きの文字で文末に『感謝』と添えられているのです。「葉書道」という人生哲学で生きている姿勢にはいつも頭が下がる思いです。同時に感激と感動も貰っています。無精者の小生にはこのお二人の人生には脱帽してしまいます。
ところで「8月になりました」との、思いは季節感への誘いです。
京都には7月という一か月の長期にわたった「祇園祭」が終わると本格的な夏が訪れるようです。皆さんの街の風物詩に「季節観」と絡むものがありましたら教えてください。
8月も2日になりました。
東北から週末の「お祭り」の案内がラジオを通して耳に届きました。被災地から立ち上がろうとする東北の皆さんにエールを送りたいものです。東北では、この夏の大きな祭りが終われば、一気に「秋になる」のでしょうね。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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