~いつまでも いつも八月十五日~
今日は第66回目の終戦記念日である。
今日は第66回目の終戦記念日である。
8月6日と9日のブログにも記したが、あれからもう66年の歳月が流れている。あの頃、生まれた赤ん坊は父親も知らずに70歳に近くなっている。この間の祖国の大発展は戦争という理不尽な環境では想像することもなかったことだろう
先般の東日本の大震災で原発事故という第二次災害が起きた。被爆国としての意識の風化を垣間見た気がして哀しくなった。そこには「国家の責任」が浮上して当然である。主義主張を論じている時間など無い。一刻を争う国家責任が第三次、四次災害を産み出しているとすれば責任は重大ではないか。被災者のお盆はどうされているのだろうか。思うだけでも辛くなる。
忌まわしい戦争に巻き込まれた世代の被害者は、国を挙げて弔いながら二度と起こさない約束をするのが国家責任ではないだろうか。政治家はその方向性を十分に認知していると確信していた。政権を担うという大役はその推進が主たる任務であるはずなのに、この期に及んでも被災地への復興策も遅々として進んでいないではないか。凡庸な老人のちっちゃなボヤキではあるが、小生は66年前に父親が戦争で死んでしまった遺族なのである。遺児の一人としての叫びは「国家に届け」と叫びたいのである。読者にはご理解できるだろうか?
『いつまでも いつまでも元気で』(写真版)という本を、この日になると読み返す。
中でも、わが子へ向けた手紙のページを開けば大粒の涙がこぼれる。毎回のことなのに涙は正直である。最後に「父より」で締めくくられているカタカナ文字には時代を映す情がある。こんな思いで小生の父親も死んで逝ったのか、と胸が痛むのである。
小生には5人の孫もいる。幸せであればあるほどにこの光景を実父にも見せたかったと考えるのは身勝手なことなんだろうか。そんな8月15日は、「いつまでも いつも八月十五日」(ラジオ深夜便「今日の一句」から)でしかない。孫の世代に、間違っても66年前のような悲劇が起きてくれては困る。
今日は孫たちも揃うようだ。本家となったここ土浦に嫁ぎ先から孫を連れて里帰りをするようだ。仕事が忙しくて後日になる娘もいるが、とりあえず今日はそんな日になるという。幸せである。そんな思いが余計に「国の責任」という手の届かない地点に向かって叫びたくもなるのである。今日はそんな『日』なのである。
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