~「家族で出かけた」記憶は?~
小生の少年時代は戦争が終わって10年ぐらい過ぎた頃だろうか。
当時は、10年前に大きな戦争があったことなど知る由もない。「家族生活」なんて言う言語が世の中に出現したことなども知るわけがない。ましてや、「夏休み」に家族そろって旅行に出かけるなどあり得ない。もしもあったとすれば、ホンの一握りの、所謂、特権階級の家庭だけの話で一般家庭では話題にもならなかったのではないか、と想像することも容易である。
少年時代の夏休みの最大の思い出は、地域のおじさんやおばさんに連れて行ってもらった「海水浴場」ではないだろうか。その後、「子ども会」とやらの洒落た名称の団体が誕生して団体行動も広まったようである。つまり、家族単位で旅行するなどは小生のような者が育った家庭では眼中にも無かったのである。
その少年が青年になって、やがて結婚する。我が子が誕生するのは昭和50年代である。戦後30年ばかり経た時期である。東京オリンピック後の「高度成長時代」となり、マイホームという現代用語が若い親世代には憧れを載せて圧迫してきた。猫の額の「お庭」が持てると、次は「家族サービス」という言語が若いパパを襲撃して来る。仕事に疲れ。人に疲れたパパ軍団は、たまの休みも家族サービスに駆り出され休む暇もなく働き詰の日々を送ることになる。夏休みの「家族旅行」のための蓄えのために僅かな私的使用可能な金銭までも逼迫する。そして、更に30年経つと「お祖父ちゃんになる」のである。今度はそこにはツケが回ってくる。家族サービス回避のツケである。笑うに笑えない明確な自分史である。
ここまで呟くと悲惨な時代を送ってきたようであるが、楽しかったことも決して少なくない。家族にもそんなに不満が充満していたわけでもない。友人や同僚にも恵まれた。先輩や上司に反発するほどの若さも発揮できた。悔い等全くない、と豪語できる人生を過ごしすことがてきたことはこの上ない幸せではないか。
しかし、反省が無い訳ではない。
今日は正々堂々と「ツケを果たす」精神で、3人の孫たちを連れて横浜スタジアムに行くことになった。皮肉なことに、昨日あたりから荒天になり、試合の実施も心配されるほどの天候になった。それでも、起床してきた孫たちは「行く前」から興奮状態である。大はしゃぎする声が母屋から響いてくる。「そんなにまで嬉しいお出かけなんだ!と老妻と目を見合わせてしまった。
少年時代の「家族との思い出」など皆無のお祖父ちゃんは、自らも味わったことのないような気分を孫たちから戴くことにしようか。父親として子供連れで出かけた時の「義務感」も、今となれば「娯楽」に切り替えさせてもらって横浜の一日を楽しんで来ることにしよう。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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