2011/08/16

こんな記事に仰天と衝撃

 ~「休刊になります」との電話は8月初めに~
 出版社の編集者の一人から電話が入りました。
 2年間の連載原稿を執筆させていただいた時の担当編集者からの電話でした。当方の転居をお知らせしていなかったこともあり、業者ではお困りになったようです。事情を聴いて恐縮するばかりでした。このHPで、新アドレス情報を得てメールがその前に届いていましたのでコールのお願いをしておきました。社の方針で急な決定だそうです。「親方日の丸」(笑)業界に勤務した小生には異文化での出来事に思えてしまいますが、一般企業や会社では日常茶飯事のことのようです。
 休刊になる最後の月刊誌に掲載する原稿の執筆依頼がありました。
 休刊の情報は仰天と衝撃ではありましたが、その最後の発行月刊誌に「拙い原稿」を載せていただくという光栄に、違った仰天と衝撃が走りました。それは、感謝の気持ちからでした。執筆要綱を見詰めながら胸が熱くなりました。細やかな実践を添えて、愛する後輩諸兄に向かって真意を文字に託そうと意を決して書きました。機会がありましたら発行の暁にはご一読いただければ幸甚です。
 
 お盆が去りました。
 お墓もお寺も至近距離にある所に転居して初めての「迎え火」と「送り火」が出来ました。孫たちが手に持っている提灯の灯りにはやっぱり幻想的な「我が国の文化」が醸し出され、亡き両親の笑顔が浮かんできました。小生の孫たちですから、両親にとっては曾孫です。曾孫たちの灯す提灯に誘導されて両親はお盆の「里帰り」を満喫して、また天国に戻ってくれたことでしょう。
 昨夜の楽しかった宴の残骸を嫁と老妻が片付け始めました。依頼された原稿の最終推敲を終えて庭に出ました。空き缶やビンの処理を手伝うためです。長男夫婦は今日から通常勤務です。数日間のお盆休みで孫たちもすっかり親との時間を満喫したのか、3歳の孫は保育園に連れて行かれることを察知して今朝は珍しく愚図っている様子が母屋から伝わってきました。さもありなん!!当然のことでしょう。親の愛情は何にも勝るものですから・・・。ろくな愛情も掛けずに子育てをした我が親業を反省してしまうお盆明けの朝です。
 


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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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