~そんな筈はないだろうが・・~
新居の周囲では、いがぐりのサイズが日増しに大きくなるのがわかるほどの成長ぶりである。
今の室温が24度である。長袖長ズボンの服装でいるのが身体も戸惑っているような陽気である。昨日は終日を「孫たちと横浜」で時間を過ごしたが、帰宅時刻も午後11時を過ぎていた関係からか朝の活動開始も通常より数時間も遅れた。更に全身の倦怠感に苛まれる始末は、使用を厳禁されている(読者より)言語を使いたくなってしまう(笑)。『加齢』の症状をじっくり受け止めつつも午前中は、何もする気になれずゴロゴロしてしまった。ゴロゴロすることすらできなかった猛暑日が嘘のようでもある。横になって単行本を読んでいることができる程の快適な気温になったという証でもある。
パソコンに向かいながらその向こうに見える栗畑の色合いが目の保養になっていた。まだまだ、葉の緑が十分に効能を発揮してくれているような鮮度である。しかし、ここ数日の気温の低下で、「秋の兆し」を全身で受け止めそうな「いがぐり」君たちの姿が至近距離1メートルに存在する。
ふと、このままこの「いがぐり」君らは秋の収穫に向かって一直線上に居並んでいるように見えて来る。去年の収穫の時期にはこの地には住んでいないので光景は分からないが、一面が緑色から茶色に変色して、いがぐりが割れて中身の栗が見えるように変化するのだろうか。とても、楽しみである。
確かに季節の移ろいは感じるが、まだまだ「本格的な残暑」は来月までは続くだろう。その残暑の気温が実りの多くを保証するのではないかと期待するのもチョッと複雑な心境である。
そんな夕暮れの気温の低さで、疲労感を明日まで引き延ばすことだけは防げそうである。と言いつつも8月も、あと10日を残すことになる。皆さんの周囲でも「秋近き」を感じるような陽気でしょうか?
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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