~強い日差しと時折、大粒の雨~
何となく複雑な空模様が続き、不安定な気象状況がここでも続いています。
我が家(=新居の『離れ』)の玄関工事が始まりました。転居して4か月になるまで「待たされ」ました。と表現すると被害者意識丸出しの「嫌な」感じをお受けになるでしょうね。誤解のないようにご説明をいたしましょう。請負工務店は行方市にあるそうです(長男の発注ですので・・・)。そこは、今回の被災地になってしまった地域に至近距離にあるとのことです。雇用すべき職人さんたちが被災地へ出向されることを優先され小生の自宅(玄関は無くても生活はできる状態)への対応については専務さんからもご丁寧に工事の遅延申し出は何度も受けておりました。
職人さん方の調整が付いたのでしょうか。
1週間前から数名の職人さんが工事に来ていただくことになりました。どうやら「お盆」には間に合いそうでホッとしています。転居した時点では朝夕の温度も低く感じる程でした。いつの間にか、写真の風景があちこちで見られる時期になっています。ここ土浦市はレンコンが特産物だそうです。蓮の花がとてもきれいに咲き、車で通過しながらも綺麗な花の乱舞に気持ちも穏やかになります。
いつの間にかそんな季節になりました。
すっかり生活のバイオリズムも出来上がりました。週末と来週の半ばに仕事はありますが、ほぼ「夏季休業」は満喫できるようです。義父母が眠る墓所まで歩いていける地に引っ越してきたので、お盆前の掃除も今まで長男夫婦におんぶにだっこ状態だったので、今年からはきちんと対応できそうで老妻も嬉しそうです。朝の涼しいうちにお掃除に行こうと計画しているところです。
今日あたりから、当地も暑さが戻って来るとの予報です。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
0 件のコメント:
コメントを投稿