~亡き母の言葉を思い出す8月9日~
66年前の今日。
この時計が止まった時刻に亡母はサツマイモ畑にいたそうだ。雲仙岳のほうで今まで見たことも無いような「稲妻」(と、ずっと母は思っていたようだった)が光ったそうだ。瞬間的にサツマイモの生い茂った蔓の下に伏せたのだそうだ。その直ぐ後から地鳴りを伴った轟音があたり一面に響き渡ってこの世の終わりかと母は死を覚悟したそうだ。
何十回も聞かされたサツマイモ畑の原爆投下の亡母の経験談である。
怖かった母の気持ちも単に「お話」として聞き流して育った小生は、それがいかに惨い事故だったのかを学んだ。社会科の先生の講話を聴くたびに心臓は異常な音を発した。そして、いつも涙が流れてしまった。その涙を友人に笑われるのがイヤでひた隠しに隠した思い出も残っている。
だから、今日は、この年齢の九州人にとっては決して忘れてはいけない「いのちの日」なのである。
兄と叔父に教わった『長崎の鐘』という流行歌がある。かなり多くの機会で人前で歌った。カラオケでも多く歌唱した。それは小生にとっては鎮魂歌でもあったからである。その歌声が今日、ラジオから聞こえてきた。藤山一郎という偉大な歌手の歌声であった。何度聞いても心に響く歌である。
カラオケにも、もう10年間は通っていない。通えない事情や歌いたくない原因など全くない。しかし、歌唱したことを懐かしく思い出すほど歌っていない。何の理由もないままに「歌う」ことから遠ざかってしまったようだ。久しぶりにラジオから流れる敬愛する偉大な歌手の歌声を聴きながら幾年の時間の流れを痛感しつつも目頭が熱くなってしまった。
今日の土浦も暑かった。
きっとあの日の長崎も暑かったことだろう。8月9日なると、亡母の「怖かった話」を思い出しながら、犠牲者の皆さんのご冥福を心から祈るばかりである。
66年前の今日。
この時計が止まった時刻に亡母はサツマイモ畑にいたそうだ。雲仙岳のほうで今まで見たことも無いような「稲妻」(と、ずっと母は思っていたようだった)が光ったそうだ。瞬間的にサツマイモの生い茂った蔓の下に伏せたのだそうだ。その直ぐ後から地鳴りを伴った轟音があたり一面に響き渡ってこの世の終わりかと母は死を覚悟したそうだ。
何十回も聞かされたサツマイモ畑の原爆投下の亡母の経験談である。
怖かった母の気持ちも単に「お話」として聞き流して育った小生は、それがいかに惨い事故だったのかを学んだ。社会科の先生の講話を聴くたびに心臓は異常な音を発した。そして、いつも涙が流れてしまった。その涙を友人に笑われるのがイヤでひた隠しに隠した思い出も残っている。
だから、今日は、この年齢の九州人にとっては決して忘れてはいけない「いのちの日」なのである。
兄と叔父に教わった『長崎の鐘』という流行歌がある。かなり多くの機会で人前で歌った。カラオケでも多く歌唱した。それは小生にとっては鎮魂歌でもあったからである。その歌声が今日、ラジオから聞こえてきた。藤山一郎という偉大な歌手の歌声であった。何度聞いても心に響く歌である。
カラオケにも、もう10年間は通っていない。通えない事情や歌いたくない原因など全くない。しかし、歌唱したことを懐かしく思い出すほど歌っていない。何の理由もないままに「歌う」ことから遠ざかってしまったようだ。久しぶりにラジオから流れる敬愛する偉大な歌手の歌声を聴きながら幾年の時間の流れを痛感しつつも目頭が熱くなってしまった。
今日の土浦も暑かった。
きっとあの日の長崎も暑かったことだろう。8月9日なると、亡母の「怖かった話」を思い出しながら、犠牲者の皆さんのご冥福を心から祈るばかりである。
0 件のコメント:
コメントを投稿