2011/08/09

『長崎の鐘』のメロディーに涙して・・・。



 ~亡き母の言葉を思い出す8月9日~
 66年前の今日。
 この時計が止まった時刻に亡母はサツマイモ畑にいたそうだ。雲仙岳のほうで今まで見たことも無いような「稲妻」(と、ずっと母は思っていたようだった)が光ったそうだ。瞬間的にサツマイモの生い茂った蔓の下に伏せたのだそうだ。その直ぐ後から地鳴りを伴った轟音があたり一面に響き渡ってこの世の終わりかと母は死を覚悟したそうだ。
 何十回も聞かされたサツマイモ畑の原爆投下の亡母の経験談である。
 怖かった母の気持ちも単に「お話」として聞き流して育った小生は、それがいかに惨い事故だったのかを学んだ。社会科の先生の講話を聴くたびに心臓は異常な音を発した。そして、いつも涙が流れてしまった。その涙を友人に笑われるのがイヤでひた隠しに隠した思い出も残っている。
 だから、今日は、この年齢の九州人にとっては決して忘れてはいけない「いのちの日」なのである。
 兄と叔父に教わった『長崎の鐘』という流行歌がある。かなり多くの機会で人前で歌った。カラオケでも多く歌唱した。それは小生にとっては鎮魂歌でもあったからである。その歌声が今日、ラジオから聞こえてきた。藤山一郎という偉大な歌手の歌声であった。何度聞いても心に響く歌である。
 カラオケにも、もう10年間は通っていない。通えない事情や歌いたくない原因など全くない。しかし、歌唱したことを懐かしく思い出すほど歌っていない。何の理由もないままに「歌う」ことから遠ざかってしまったようだ。久しぶりにラジオから流れる敬愛する偉大な歌手の歌声を聴きながら幾年の時間の流れを痛感しつつも目頭が熱くなってしまった。
 今日の土浦も暑かった。
 きっとあの日の長崎も暑かったことだろう。8月9日なると、亡母の「怖かった話」を思い出しながら、犠牲者の皆さんのご冥福を心から祈るばかりである。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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